音楽をどのように捉え、表現するべきか? 感情の発露としての音楽は、単なる技術や感覚的なものにとどまらないのではないでしょうか。この問いに対して、J. Rimas ら「A Philosophical Approach to Musical Expression: Necessity or Possibility」(2024)【Amazon】が提示するのは、音楽と哲学が互いに交差し影響を与え合うことで、人間の経験や思考を超越する新たな視点を提供するという考え方です。
以下では、この論文の内容を詳しく掘り下げ、音楽表現における哲学的アプローチの必要性と可能性を探ります。
哲学と音楽の相互作用:人間の探求としての音楽
論文はまず、音楽を単なる感覚的体験として捉える従来の視点を超えて考えるべきだと主張します。哲学者ニコラ・アッバニャーノ(Nicola Abbagnano)の言葉を引用し、哲学が「人間が自らに問いを立て、その存在の意味を正当化する営み」であるように、音楽もまた人間の思索と深く結びついていると説明します。
音楽表現を哲学的に解釈することは必須ではないものの、責任ある人間として音楽に深く向き合うためには望ましいものとされます。音楽を感情の言語と見るだけではなく、芸術や科学と同じく、深い思索の対象として捉えるべきだと論じられています。
音楽作品の「内面」と哲学的アプローチ
音楽作品には、「外面的」な形式(音符や構造)と「内面的」な形式(本質的な意味)が存在します。この内面的形式こそが、哲学的アプローチにより解釈されるべき要素です。フリードリヒ・シュレーゲル(Friedrich Schlegel)は「純粋な音楽は哲学的であるべきで、思考のための音楽である」と述べ、音楽が哲学的思索の一環であるべきだと考えました。
さらに、哲学者アルヴィダス・シュリョゲリス(Arvydas Šliogeris)は音楽と哲学の共通点を次のように述べています。「音楽と哲学はともに人間を日常の生活から引き離し、超越的な神秘に直面させる」。音楽作品を深く味わうためには、日常的な視点を超えた哲学的視点が必要だと強調されています。
美と善の結びつき:音楽の目的性を探る
論文は、美がどのように音楽表現に現れるかについて、美学の歴史を紐解きます。アリストテレス(Aristotle)が述べた「カロカガティア(kalokagathia)」という概念、つまり「美」と「善」の結びつきがここで議論されます。美はそれ自体で選ぶ価値のあるものであり、音楽作品もまた、その善と目的性が美しさを生む要因となります。
イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は美を「目的性のある形式」として説明し、その目的性が直接的に理解されることで私たちに満足感を与えると述べました。この視点を音楽に適用すると、音楽作品の「内面的形式」が美の本質を体現し、その美が聴き手に深い満足感をもたらすのだと解釈できます。
聴覚と哲学的洞察:解釈学と音楽解釈
音楽作品を哲学的に解釈する際、論文ではプラトン(Plato)の洞窟の比喩が用いられます。洞窟の中にいる人が影しか見えないように、音楽作品の外面的な形式だけを見ている人は、その内面的な本質を見失う可能性があります。しかし、哲学的視点を持つことで「見ることと思考すること」が統合され、音楽作品の本質が明らかになります。
このような解釈は解釈学に基づいており、音楽作品を単なる技術的な演奏としてではなく、深い哲学的洞察を伴った芸術として見ることが求められます。マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger)は「芸術作品は存在の真理を明らかにする」と述べ、音楽もまた真理を開示する手段であると考えました。
音楽表現における哲学の役割: 実践と価値の統合
哲学的アプローチを音楽表現に取り入れることは、単に学術的な探求にとどまらず、実際の演奏や創作においても大きな影響を与えます。論文は、「価値に基づいた判断と表現」が音楽表現における重要な要素であると述べています。音楽家は、作品の本質を哲学的に理解し、それを適切な形で表現することで、作品に新たな命を吹き込むことができます。
結論: 哲学が音楽にもたらす新たな視点
「A Philosophical Approach to Musical Expression: Necessity or Possibility」は、音楽表現における哲学的アプローチの意義を深く掘り下げた重要な論文です。音楽が単なる感情の言語ではなく、哲学的思索と深く結びついていることを示し、私たちの音楽理解と表現を豊かにする可能性を提供します。