CENTREX

10月9日のイベントは、まぁ、正直言って集客的に失敗やったと思う。
これはオーガナイザーや他のDJも感じていたと思うんだけど、
自分の出番(最後)のあと、
他のDJの方に曲とかジャンルとかについていろいろ声をかけてもらったので、
DJとしては成功やったのかな?
ま、いつもと変わらん感じでやってたんだけど。
ということで、忘れないうちにセットリスト。

続きを読む


古代ギリシア音楽(8): ギリシアの音組織

西洋音楽史の出発点、古代ギリシアについての8回目です。前回までで古代ギリシアにおける音楽理論家をみてきました。

 

なお, 全体の目次はコチラです。

今回は、古代ギリシアではどのような「音」が使用されていたのか、古代ギリシアの「音組織」についてみていきたいと思います。 続きを読む


古代ギリシア音楽(7)ギリシアの音楽理論家: アリストクセノス

西洋音楽史の出発点、古代ギリシアについての7回目です。今回は、アリストテレスの弟子、前4世紀後半に活躍したアリストクセノスです。

ここまでのおさらいをしておくと、ピュタゴラス派に始まった西洋音楽理論は当初、「天体のハルモニア」という言わば神秘的な思想をふくんでいました。古代ギリシアの哲学者、プラトンはこの「天体のハルモニア」の思想を受け継ぎ、音楽と人間の魂の調和について彼独自の考え方を展開しました。プラトンの弟子であるアリストテレスは、プラトンよりも現実的に音楽論を展開し、「天体のハルモニア」という考え方を受け継ぐことはしませんでした。そして今回のアリストクセノスは、師であるアリストテレスの現実路線をさらに押し進めたのです。 続きを読む


古代ギリシア音楽(6)ギリシアの音楽理論家: アリストテレス

西洋音楽史の出発点、古代ギリシアについての6回目です。

西洋音楽史の目次はコチラになります。

今回は、前回のプラトンの弟子であるアリストテレスを取り上げます。アリストテレスと言えば、ソクラテス、プラトンとともに最重要哲学者としてしばしば取り上げられます。また、その幅広い学問的業績から、「万学の祖」とも言われます。このようなアリストテレスはまた、音楽についても論じていました。 続きを読む


CENTREX

10月、久しぶりにDJします!
ハウス中心?の4つ打ちイベントなので、
ダンスミュージック好きな方はドゾ。

私は相変わらずハヤリを無視して、
今回はトライバルなセットでやっちゃおうと思います。

Africanismの中古でも掘りにいこうかしら。

続きを読む


古代ギリシア音楽(4)ギリシアの音楽理論家: ピュタゴラス

西洋音楽史の出発点、古代ギリシアについての4回目です。さて、前回まででムーシケー μουσικη という考え方から始まり、叙事詩、抒情詩、ギリシア悲劇と、古代ギリシアにおける音楽作品についておおまかに取り上げました。

古代ギリシア音楽(1)「ムーシケー」について
本サイトでは現在、西洋音楽史についてまとめています。 前回はコチラ。 なお、西洋音楽全体の目次はコチラ。 西洋音楽史 まとめ ...
古代ギリシア音楽(2)叙事詩と抒情詩
西洋音楽史の出発点、古代ギリシアについての2回目です。1回目はコチラ。 古代ギリシア(1)「ムーシケー」について なお、本サ...
古代ギリシア音楽(3)ギリシア悲劇
西洋音楽史の出発点、古代ギリシアについての3回目です。1回目、2回目はコチラ。 古代ギリシア音楽(1)「ムーシケー」について 古代...

今回からは、古代ギリシアにおける音楽理論についてみていききましょう。先ずは前6世紀に活躍したと言われるピュタゴラス Πυθαγόρας ( 紀元前582年 – 紀元前496年 )です。 続きを読む


古代ギリシア音楽(3)ギリシア悲劇

なお、当ブログの西洋音楽史関連のエントリーは、以下も参考にして下さい。

前5世紀になると、アテネが文芸の中心地になりました。アテネでは、悲劇・喜劇が発達しました。悲劇・喜劇は、音楽と舞踊が一体となった言わば「総合芸術」でした。 続きを読む


古代ギリシア音楽(2)叙事詩と抒情詩

西洋音楽史の出発点、古代ギリシアについての2回目です。1回目はコチラ。

なお、本サイトの西洋音楽史関連のエントリーは、以下も参考にして下さい。

続きを読む


古代ギリシア音楽(1)「ムーシケー」について

本サイトでは現在、西洋音楽史についてまとめています。

前回はコチラ

音楽理論の歴史的展開 ( 西洋音楽史 )
現在、本 web サイトでは、西洋音楽史についてまとめています。 前回のエントリーでは、「音楽の起源」について簡単にまとめました。 ...

なお、西洋音楽全体の目次はコチラ

続きを読む


岡田暁生『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』

「聴き方」というタイトルだけど、
実際には「音楽を語る」ことが議論の中心の本。
音楽を「語る」という行為は、最終的に不毛だと思う。
これは著者も言っているし、俺個人としてもそう思う。
でもそれは聴き手にとってのみで、あらゆるレベルでの作り手にとっては、
語ること、言葉にすることは、音楽にとっては不可欠になる。
それに、音楽を「語る」という行為が不毛であることは、
19世紀の西洋音楽社会に一般化した、
音楽「公演」と、「批評」と原因がある(らしい)。

続きを読む


【スポンサーリンク】
スポンサーリンク