Zeebra の不倫報道がね、あったわけですが。極論を言うと、仕方なくないですか? どういう人物であれ、やっぱり生物ですから、そういう状況になったら、止めたくても止められないわけですよ。殴られたら痛みを感じるのと同じなんですよ。大事なのは未然に防ぐこと、殴られないこと、つまりそういう雰囲気になりそうな場面を避けることですよね。ミュージシャンという職業上、一般的な例えば会社員に比べたら、そういう雰囲気になってしまう場面が多いと思いますが、「女遊びも芸の肥やし」的な考えが通用したのも今は昔です。やっぱりね、普段から大口叩くのが仕事みたいなところありますから、特に Zeebra さんの場合、しっかりそのあたりまで、未然に防いでほしかったところですね。だって、端的に格好悪いでしょう? 今の時代、不倫なんて。違法薬物濫用自慢や暴力自慢と同じで、不倫は今の時代、決してカッコいい行為ではないですよ。
目次
不倫は未然に防ぐべき
でも、生物ですから、やっぱり、そういう場面になったらそういうふうになることを防ぐのはなかなか難しい。めちゃくちゃお腹が空いているときに目の前にアイスクリームがあったら食らいついてしまいますよね。生物だから仕方ないんです。だからだからそういう場面にならないように未然に防ぐことが重要だって言うことですよ。
Zeebra は謝罪ラップを公開しろ!
それ以上に重要なのが、Zeebra さんの場合、やっぱミュージシャン、ラッパーなんですから、謝罪ラップをね、公開してほしいですよね。画像ツイートで謝罪なんていうふうな格好悪いことをせずに、Jay-Z あたりのビートを使ってですね、フリースタイルラップで、アップロードするのはTwitterでもYouTubeでもいいですから、ラップで謝罪してほしいですね。
『フリースタイル・ダンジョン』が越えられなかった壁
『フリースタイルダンジョン』が一応「成功」と言われて、番組は終了してしまいましたが、日本におけるラップ・カルチャーの普及に (「Grateful Days」ヒットに続いて) また大きく貢献した言われてますよね、Zeebra 。でも個人的には、『フリースタイルダンジョン』の成功は、ラップ・カルチャーの普及にもつながったと思うんですけど、ヒップホップの普及にまでは至ってないと思うんですよ。1998年というか、あの、2000年代前半のような、ヒップホップ・カルチャーのような盛り上がりまでは到達しませんでしたよね。何でそういうことを言うかと言うと、国民的なヒット曲というのがやっぱり生み出せなかったわけです。フリースタイルダンジョンからは。「Grateful Days」を超えられなかったわけですよ、『フリースタイルダンジョン』は。
Zeebra にはもっと楽曲を作ってほしい
やっぱり『フリースタイルダンジョン』放映中に、Zeebra はもっとたくさん楽曲なりアルバムをリリースしなければいけませんでしたよね。番組放映中にたくさんリリースしたのは般若ですよね。さすがですよね。フリースタイルダンジョンから出てきた新世代のラッパーたちも、般若のリリースペースには追いついてないですよね。やっぱり般若くらいのペースでリリースしないと、もっともっと広く普及しないと思います。
ヒップホップが流行ったら困るのは Zeebra なのでは?
もっと過激なことを言うと、Zeebra がいるから、いつまで経ってもヒップホップが日本に普及しないのかもしれないですね。どういうことか。ヒップホップが日本に普及して困るのは Zeebra なんですよ。だってヒップホップが普及したら、「ヒップホップを日本に広げる芸」でごはん食べてる Zeebra の仕事がなくなってしまいますから。特にここ数年、新曲もアルバムも出してないので、「ヒップホップを日本に広げるためにテレビ出てます」スタンスだと、ヒップホップが日本に当然のカルチャーになったら、Zeebra 要らないですよね。過去の功績はともかく。新曲を出してないのに。本当は、Zeebra は日本にヒップホップを普及させたくないのでは?
ラップとヒップホップを分けるのはやっぱり間違い
ちょっと言い過ぎましたが、話を『フリースタイルダンジョン』に戻すと。
ラップとヒップホップを分ける風潮が出てきてしまったのも、『フリースタイルダンジョン』の負の遺産ですよね。前回の、00年代のヒップホップ・ブームも、けっきょく、ラップとヒップホップを分けてしまったから、よく分からないちゃんぽんのような音楽ばかりが流行って、それはそれで面白いんですけど、一方でヒップホップがちゃんとは普及しなくて、結果的にラップも廃れていってしまいましたよね。だから、ラップをちゃんと普及させるんだったら、ヒップホップ・カルチャーの普及と言うのは絶対に欠かせないと思うんです。個人的にはね。
ヒップホップは何でも音楽にできるのが強み
ヒップホップ・カルチャーの面白さというのは、何でも音楽にすることですよ。正直に自分の内面も含めて、何でも音楽にすること。それはネガティブな感情も含めてです。ライバル視しているラッパーが気に入らないとか、そういった負の感情、喧嘩、いわゆるビーフですよね、音楽で喧嘩とか、ビーフとかできるのって、しかもそれでめちゃくちゃ世界的に流行ってるのって、ヒップホップ以外であんまりないですよね。別のポピュラー音楽で、例えば髭男とかがいきなり、「あいみょん大っ嫌い」なんていうふうに歌ったら、それはそれで大問題だわけです。というかちょっとシラちゃいますよね。面白いとは思うけど。いやめちゃくちゃ面白いな… けど、面白いけど、できないですよね。でもそれができるのがヒップホップなんですよ。何でも音楽にできるのがヒップホップなんです。
ヒップホップは、不倫を謝罪できる音楽
だから、不倫を謝罪できるのもヒップホップの強みなんです。
ヒップホップだから、ラッパーだから、不倫を謝罪する楽曲、ていうのが、分かりやすく、大勢に伝わるように書けるんですよ。
他のポピュラー音楽のジャンルだと、なかなかそうはいかないですよ。
大和田俊之が誤解していること
確か、『文化系のためのヒップホップ』だったと思いますが、その中で、大和田俊之だったと思いますが、ヒップホップは音楽じゃない的なことを書いてましたよね。「書いてましたよね」とか、「思う」とか曖昧な言い方は、この本もう処分しちゃって、確かめようがないからなんですが。確か、本の中で、大和田紀之が「大学の学生と話しているとき、ヒップホップファンの学生が、ヒップホップの話題をするときは、音楽の話題が出てこない」的なエピソードを披露していましたね。確か。確かめようがないので確実なことは言えませんが。でもこれは間違っていると思うんです。ヒップホップの話題をするときに、音楽の話題があんまり出てこないのは、そもそも何でも音楽にしてしまうからなんです。逆説的ですが。分かりにくいですが。誰と誰が喧嘩した、誰が逮捕された、みたいな、ヒップホップ以外のポピュラー音楽のジャンルでは、「それってどうなの?」と言うようなことが、全て音楽になっていくんですね。だから、ヒップホップは音楽ではないのではなくてヒップホップは全て音楽っていうことです。
Zeebra はセルフ公開処刑しろ!
だから、ジブラも、画像ツイートで謝罪なんていうふうな、みっともない真似をしないで、ちゃんと、ラップで謝罪するべきですよね。フリースタイルで。謝罪する気持ちがあるなら。ヒップホップ・カルチャーを牽引してきたと言う自負があるなら。マイクをとって、ラップで、謝罪するべきです。
セルフ公開処刑しろ!