西洋音楽史、ルネサンスの5回目です。今回は、ルネサンス期の世俗音楽について取り上げます。前回のエントリーでも少し取り上げましたが、16世紀がすすむにつれ、ヨーロッパ各国(フランス、イタリア、イギリス、ドイツ)では、自国の言語を用い、かつ民族的な音楽性を生かした世俗音楽が盛んに作られるようになりました。こうした世俗音楽のテーマは主に恋。そして無伴奏の多声音楽でした。では、各国の世俗音楽を具体的にみていきましょう。
1.フランス
フランスの世俗音楽はシャンソン chansonと呼ばれています。
ルネサンス期に盛んに作られたシャンソンは、フランス語による多声音楽でした。
15世紀にもシャンソンは作られていましたが、16世紀のシャンソンとは様式が異なります。16世紀のシャンソンは、セルミジ Claudin de Sermisy らによって発展させられ、4声部がほぼ平等に扱われ、単純明快な2拍子系が多く、和音的様式が中心となっていました。
また、16世紀前半の最も代表的なシャンソン作曲家として、ジャヌカンが知られています。彼の代表曲は《鳥の歌》です。
16世紀後半のシャンソンにおいて、大きな影響力を持っていた作曲家の1人に、フランドル楽派のラッススがいました。ラッススは教会音楽を作る傍ら、世俗音楽も残しています。ラッススのシャンソンは、イタリアのマドリガーレ madrigale に影響を受けたシャンソンを作りました。
16世紀後半から17世紀にかけては、エールという、リュート伴奏付き独唱歌曲の新たなシャンソンが流行しました。
2.イタリア
イタリアの世俗音楽は「マドリガーレ」と呼ばれています。他国の世俗音楽と同じように、自国語、つまり、イタリア語による多声音楽です。
ただし、初期マドリガーレの中心的な作曲家は、イタリアではなくフランドル出身者が多かったそうです。主な作曲家として、
- ヴィラールト Adrian Willaert
- アルカーデルト Jacques Arcadelt
が知られています。
このような、フランドル出身者が中心になってマドリガーレが作曲される状況は、16世紀中頃まで続きました。イタリア人がマドリガーレ作曲において重要な活躍をし始めるのは、16世紀後半になってからです。そしてイタリア人が活躍し始めると、マドリガーレは16世紀ヨーロッパ音楽において最も進歩的なジャンルの1つにりました。
マドリガーレのイタリア人作曲家として代表的なのは、
- マレンツィオ Luca Marenzio
- ジェズアルド Carlo Gesualdo
です。彼らは半音階や不協和音を巧みに使用した、個性豊かなマドリガーレを作りました。
このようなマドリガーレの特徴は、音楽上のマニエリスム(遠近法などを誇張して形をゆがめた16世紀後期の美術様式)です。
また当時のマドリガーレの楽譜には「目の音楽」と呼ばれる手法がありました。「目の音楽」とは例えば、「闇」という単語には黒符が、「光」という単語には白符が用いるというふうに、楽譜を見ることで初めて気付く手法でした。このことから、当時の音楽には、自分で歌って自分で楽しむという類があったと考えられています。なお、歌詞の意味内容を象徴的・視覚的に表現しようとした傾向を、マドリガリズムと呼びます。
マドリガーレを作曲した代表的音楽家には他に、モンテヴェルディ Claudio Giovanni Antonio Monteverdi がいます。モンテヴェルディは、バロック初期の代表的音楽家としても有名です。ただ、彼の残した全部で9巻のマドリガーレ曲集のうち、少なくとも1592年の第3巻までは、ルネサンス期のマドリガーレに用いられていた手法が駆使されているそうです。つまり、16世紀の終わり頃までのモンテヴェルディは、ルネサンスの作曲家だった、という考えもあるそうです。
なお、16世紀後半のイタリアでは、マドリガーレ以外のジャンルの世俗音楽も好まれました。
- ヴィッラネッラ Villanella
- バッレット Balletto
がそうで、マドリガーレよりも単純・素朴で軽快な印象のある音楽です。
3.イギリス
イギリスでは、フランスやイタリアより少し遅れて、16世紀中頃から17世紀にかけて、英語による多性の世俗音楽が盛んになりました。
イギリスで盛んとなった世俗音楽のうち、最も重要なのが、イタリアのマドリガーレに影響を受け流行した、マドリガル Madrigal です。
マドリガルの音楽的特徴は、軽快かつユーモアに富んだ表情です。
マドリガルの代表的な作曲家として、モーリーが挙げられます。
イギリスではマドリガル以外にも、
- バレット Balletto
- エア Ayre
といった世俗音楽が盛んでした。バレットはマドリガルに近い性格の音楽であり、イタリアのバッレットに影響を受けています。また、エアはダウランド John Dowland らによるリュート伴奏付き独唱歌曲です。
エアからは、バロック音楽の兆候を見てとることができます。
4.ドイツ
ルネサンス期のドイツは、音楽的には後進国でした。しかしイタリアのマドリガーレの影響を受け、16世紀後半から徐々にドイツ語による世俗的多声音楽であるリート Lied が注目されるようになりました。
初期リートの代表的音楽家は、イーザーク Heinrich Isaac です。イーザークはフランドル出身ですが、長年ドイツで活躍したため、リートにおいて重要な役割を果たしました。
イーザークに始まるリートの潮流は、スイス生まれのゼンフル Ludwig Senfl に受け継がれます。
また、同じく多くのリートを残したハスラー Hans Leo Haßler は、ドイツのルネサンス期の最後の代表的音楽家です。
以上のような音楽家たちによって作曲されたリートは、重厚な和声や落ち着いた旋律線といった特徴を持っています。こうした特徴は、代表的なプロテスタントの教派であるルター派に所属してた J. S. バッハ Johann Sebastian Bach やヘンデル Georg Friedrich Händel への、直接的・間接的な手本になっりました。
例えば上述のハスラー作曲の《わたしの心は千々に乱れ》は、バッハ《マタイ受難曲》などに転用され、有名になりました。
なお、上述のラッススも、1556年ころから94年に没するまでにドイツを中心に活躍し、多数のリートを作曲しました。
【参考文献】
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』