東日本大震災について、2012年に思うこと 2-4.個人として

東日本大震災直後、
自分も少なからず異常な精神状態だったように思える。

南関東以西の多くの人たちと同じように、
自分もまた、
毎日安全が保証された場所で
(余震はあったし放射線の影響もあるので安全が保証されていたとは決して言い切れないがそれでも被災者の方に比べれば)、
テレビで津波の映像を見ては涙していた。

また(こと原発問題について)、
何かを信じようとしても、
他者から与えられた何かを安易に信じることのできない状況、
何を信じて何を信じないかを自分で決めなければならない状況が、
とても苦しかった。

しかしこれらのこと以上に、
震災直後の自分の精神が少し異常だったのではないかと思える例は、
大して面白くもない冗談を何度も発言していたことである。

その主なものなものは、
原発問題への「下ネタ」である。

3月13日、
原発事故の実態が少しずつ明るみになるに連れて報道で繰り返された「炉」とか「棒」とかいう単語からショタを思い起こしていた。
漏出という単語からもいやらしさを連想した。
ガイガーカウンターという名前が特撮ヒーローの武器の名前のように思えた。
原子炉格納器の図は子宮に見えたり男性器に見えたりした。
「昆布」がデマだと分かると「「昆布を食べれば大丈夫」と「コーラで洗えば大丈夫」はどっちが信憑性あるか」などと発言した。

これらようなおどけた考えは、
自分の異常な精神状態を、
何とか落ち着かせようとし無意識の働きなのではなかったか、
と、
拙い自己分析をしている。

いずれにせよとにかく、
不安だったのだ。

いつの間にか不安は徐々に解消されていった。
このこと自体は、
個人にとって良いことなのだろう。

しかし1年経った今、
不安も何もない自分に対しての罪の意識のような大それたものではないもっと卑小な恥ずかしさが、
感情へとアルミホイルのラップをかけている。

2012年3月11日に黙祷をするのに適した場所はないかと思案した結果、
国立劇場へ行くことにした。
中に入ることはもちろんできなかったので、
国立劇場入り口の道路を挟んだ向かい側の歩道で、
14時46分を待った。
周りは興味本位の見物人が多く落ち着いた雰囲気ではなかった。
そして自分も興味本位の見物人の一人ではないかと思った瞬間、
言いようのない恥ずかしさに襲われた。
随分前から自分がこのような恥ずかしい人間だと薄々感づいていた。
しかしそれがそのとき、
はっきりと自覚された。

自分は東日本大震災の外側の人間なのだろう。
確かに震災のあった日、
帰宅できずに職場近くの簡易宿泊所で余震に怯えながら眠れぬ一夜を過ごした。
だから何だというのだ。
経験者のような顔をして。
お前は今、
見かけは安全な暮らしをしているでははいか。

震災を通じて暴露されたのは、
お前が恥ずかしい人間だという、
このことだ。

これが自覚できただけでも、
お前には充分であろう。

東日本大震災について、2012年に思うこと 2

  1. 日本人として
  2. 原子力発電所問題について
  3. 音楽について
  4. 個人として
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