音楽は私たちの日常生活に深く根ざしており、その力は単に耳を楽しませることに留まりません。では、音楽が持つこの力は、どのようにして私たちの感情や社会に影響を及ぼしているのでしょうか?古代ギリシャの哲学者、プラトンとアリストテレスは、音楽が人間の感情を模倣し、その結果として社会にどのような価値をもたらすかについて、深い洞察を提供しています。本記事では、Stanford Encyclopedia of Philosophyの「History of Western Philosophy of Music: Antiquity to 1800」を参考に、二人の哲学者がどのように音楽の社会的および個人的価値を理解していたかを解説します。
プラトン: 音楽の模倣と教育
プラトンは、音楽が若者の教育に寄与する可能性を認識していましたが、その一方で音楽が社会に危険をもたらす可能性も警告しています。彼の考えでは、音楽の嗜好の変化は、社会における変化を引き起こすため、これを避けるか、少なくとも密接に監視する必要があります。「国家」や「法律」において、プラトンは音楽の変化が社会の不安や権威の拒絶に繋がることを懸念しています。
また、プラトンは音楽が感情を模倣することにより倫理的に有益であるとも主張しています。特に、ドーリア調やフリギア調を通じて勇気や節度などの感情が模倣されるとき、これが子供たちの倫理教育に役立つと考えていました。プラトンは、音楽と人間の表現的行動との類似性に基づく感情の模倣を提唱し、これが音楽表現の最初の擁護となりました。
アリストテレス: 模倣の快楽と教育的価値
アリストテレスの見解は、プラトンのそれに似ているように見えますが、より洗練されています。彼はすべての芸術が模倣的であると考え、特に音楽が感情状態自体を模倣し、聴取者にそれらの感情を喚起する能力を持っていると考えました。アリストテレスにとって、音楽は単に感情のサインを模倣するのではなく、感情状態そのものを表現し、聴取者にそれらの感情を経験させることができます。
また、アリストテレスは音楽が教育における役割に加えて、カタルシス(浄化)の機能を持つとも考えていました。音楽は、極端な熱狂、同情、または恐怖の状態にある個人をよりバランスの取れた状態へと戻すのを助けることができます。このプロセスは、アリストテレスが悲劇の定義において導入したカタルシスの概念に結びついています。
音楽の快楽と倫理的価値
プラトンとアリストテレスは、音楽を聴くことによる快楽の役割についても異なる見解を持っています。プラトンは、音楽がもたらす快楽は、それが倫理教育に役立つ限りにおいてのみ価値があると考えていました。一方、アリストテレスは音楽によって生じる快楽が、教育的価値のみならず、疲れた人々に対するリラクゼーションや、洗練された生活の一部であるべきであるというより肯定的な見解を持っていました。
結論
音楽が人間の感情を模倣し、それが個人および社会にどのような影響を及ぼすかについてのプラトンとアリストテレスの考えは、今日においてもなお関連性を持っています。これらの哲学者は、音楽が持つ教育的および治療的な価値を深く理解しており、その洞察は現代の音楽教育や音楽療法においても活かされています。音楽、感情、および社会の関係性を探求することは、私たちが音楽をどのように理解し、どのように価値を置くかに影響を与えるでしょう。
次回はアリストクセノスと、音楽道徳に反対する立場の学説を紹介ます。