音楽を愛する人々にとって、旋律と和声の関係はしばしば興味深い議題となります。音楽理論においては、長らく和声が旋律に対して優位であると考えられてきましたが、これは果たして普遍的な真実なのでしょうか?音楽がどのようにして進化してきたのかを理解するためには、この問いに答えることが重要です。最新の研究である「Melody predominates over harmony in the evolution of musical scales across 96 countries」(2024)という論文では、旋律が音楽スケールの進化において中心的な役割を果たしていることが明らかにされました。本記事では、この研究の詳細を紐解きながら、音楽スケールの進化に関する新たな視点を提供します。
音楽スケールの基礎: 旋律と和声の歴史的な優位性
音楽スケールとは、特定の音の組み合わせによって構成されるものであり、それぞれの文化や地域で異なる形で発展してきました。古代ギリシアや中国において、音楽スケールは数学的に定義され、特にピュタゴラスの和声理論が大きな影響力を持っていました。ピュタゴラスの理論では、特定の和声的なインターバル(音程)が調和して聞こえるとされ、和声が音楽スケールの基本として重視されてきました。
一方で、アリストクセノスのような学者たちは、旋律の重要性を強調し、音楽スケールが声の生理的限界や音の知覚に基づいて形成されるべきだと主張しました。しかし、ヨーロッパにおいては和声理論が主流となり、18世紀にはジャン=フィリップ・ラモーが「旋律は和声の結果に過ぎない」と述べるまでに至りました。このように、和声が音楽スケールの基盤とされてきた歴史的背景がありますが、実際に世界中の音楽スケールがどのように進化してきたのかを理解するためには、旋律と和声の役割を再評価する必要があります。
研究の目的と方法: 世界中の音楽スケールの分析
本研究では、世界中の96か国から収集された1,314の音楽スケールを分析し、旋律と和声のどちらが音楽スケールの進化において支配的な役割を果たしているかを検証しました。研究者たちは、異なる地域から収集した音楽スケールを「旋律理論」、「和声理論」、「複雑性理論」という3つの主要な理論に基づいて分類し、それぞれの理論がどの程度音楽スケールの進化を説明できるかを評価しました。
旋律理論とは何か?
旋律理論に基づくモデルでは、音楽スケールは1〜3セミトーンのステップサイズ(音程差)で構成されることが予測されます。この理論は、声の生産や音の認識に基づいており、音階が進化する過程で、ステップサイズが特定の範囲内に収束することを示しています。具体的には、Interval Spacing (IS) 理論とMotor Constraint (MC) 理論という2つのサブモデルが組み合わされて、旋律理論が形成されています。IS理論では、声の生産と認識の精度に限界があるため、音階のインターバルはある程度の大きさを持たなければならないとされ、MC理論では、大きなインターバルは声帯にかかる負担が大きくなるため、小さなインターバルが好まれると予測されます。
和声理論とその予測
和声理論は、特定の和声的インターバル(例えば、完全五度やオクターブ)がスケール内で頻繁に使用されることを予測します。この理論は、音楽スケールが調和した音の組み合わせによって形成されるべきだという考えに基づいています。現代の音楽理論や計算モデルにおいても、和声的インターバルの重要性が強調されることが多く、和声理論はこれらのモデルにおいて支配的な役割を果たしています。
複雑性理論とその役割
複雑性理論では、音楽スケールが比較的シンプルであるほど、記憶しやすく、学習しやすいとされます。この理論に基づくモデルでは、音階が少ないインターバル・カテゴリーで構成されている場合、それが記憶や再生に有利であるとされます。具体的には、音楽スケールの進化において、インターバルの対称性や音階の簡潔さが進化の一因となる可能性が示唆されています。
研究結果の詳細: 旋律理論が示す音楽スケールの進化
研究の結果、旋律理論が世界中の音楽スケールの進化において最も広く支持されていることが明らかになりました。分析されたすべての地域とスケールタイプにおいて、1〜3セミトーンのステップサイズが支配的であることが確認され、これは旋律理論の予測と一致しています。この結果は、音楽スケールの進化において旋律が中心的な役割を果たしていることを強く示唆しています。
特に、音楽理論のモデルとして提示されたMelody Modelは、音楽スケールのステップサイズ分布を予測する上で非常に精度が高いことが示されました。このモデルは、声の生産や音の認識に基づいており、音楽スケールの進化において旋律が持つ重要性を明確に裏付けるものとなっています。
一方で、和声理論は一部の地域、特にユーラシアの社会において支配的であることが確認されましたが、世界全体のスケール進化を説明するには不十分であることがわかりました。和声理論は、特に音楽理論においては依然として重要な役割を果たしていますが、その影響力は旋律理論に比べると限定的です。
和声理論と複雑性理論の限界と可能性
和声理論と複雑性理論は、それぞれの方法で音楽スケールの進化を説明するためのモデルとして提案されていますが、その有効性には限界があります。例えば、和声理論は特定の和声的インターバル(完全五度やオクターブ)の存在をうまく説明しますが、ステップサイズの分布を正確に予測することはできませんでした。これは、和声理論が音楽スケール全体の進化を説明するためには不十分であることを示しています。
複雑性理論についても、特定のスケールが比較的少ないインターバル・カテゴリーを持つことが確認されましたが、これがスケール進化において主要な役割を果たしているという証拠は限られていました。複雑性理論が有効であるとされるのは、主に音楽スケールがシンプルである場合に限られており、より複雑なスケールではその影響が弱まることが示唆されています。
しかし、和声理論と複雑性理論を旋律理論と組み合わせることで、より包括的な理解が得られることも明らかになりました。特に、和声理論が旋律理論と組み合わさることで、音楽スケールの進化を予測する上での精度が向上することが示されました。これは、和声理論が音楽スケールの特定の側面を説明する際に重要な役割を果たしている可能性を示しています。
旋律が音楽スケール進化の中心である理由
今回の研究を通じて、旋律が音楽スケールの進化において中心的な役割を果たしていることが強く示唆されました。和声理論や複雑性理論も一定の役割を果たしていますが、これらは旋律理論に比べて補助的な要素に過ぎないと言えます。特に、世界中の音楽スケールにおけるステップサイズの一貫性は、旋律理論が音楽の進化を理解する上で不可欠であることを示しています。
旋律理論が音楽スケールの進化において支配的である理由として、声の生産や音の認識に基づく生理的・心理的な制約が挙げられます。声帯の動きや音の認識には限界があり、これが音楽スケールの構造に影響を与えていることが示されています。この制約は、世界中の異なる文化や地域においても共通して存在しており、それが音楽スケールの進化において旋律が中心的な役割を果たす要因となっています。
さらに、旋律理論が音楽スケールの進化を説明する上で重要なのは、その普遍性です。今回の研究では、異なる地域や文化においても、旋律理論が音楽スケールの進化を説明する上で最も有効であることが示されました。これは、旋律が人類全体に共通する音楽の基盤であることを示唆しており、音楽の進化における旋律の重要性を再認識させる結果となっています。
結論: 旋律理論の優位性とその意味
今回の研究を通じて、旋律が音楽スケールの進化において中心的な役割を果たしていることが明確に示されました。和声理論や複雑性理論も重要な要素ではありますが、これらは旋律理論に比べると限定的な影響力しか持っていないことがわかりました。特に、音楽スケールの進化において、1〜3セミトーンのステップサイズが広く支持されているという事実は、旋律理論が音楽の進化を理解する上で最も有力な理論であることを強調しています。
この研究結果は、音楽理論の未来に対して重要な示唆を与えてくれるものです。音楽スケールの進化を理解するためには、旋律が中心的な役割を果たしていることを認識し、それに基づいて音楽理論を再評価する必要があるでしょう。また、この研究は、異なる文化や地域における音楽スケールの進化をより深く理解するための新たな視点を提供してくれます。
旋律と和声の関係についての理解が深まることで、私たちは音楽をより深く理解し、楽しむことができるでしょう。旋律が世界中の音楽スケールの進化を形作る主役であるという結論は、音楽理論の新たな展開を促すものとなるかもしれません。今後の研究においても、旋律理論のさらなる探求が期待されます。