古典派の音楽(3)ハイドン: 交響曲

西洋音楽史、古典派の3回目です。古典派とは、ハイドン Franz Joseph Haydn 、モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart 、ベートーヴェン Ludwig van Beethoven の3人を指し、より厳密には彼らの活躍した時期でも1780年〜1820年を指します。前回のエントリーでは、この3人のうちハイドン、特にその生涯について取り上げました。今回は、ハイドンの交響曲を取り上げます。

目次

ハイドンは、交響曲の父、また、弦楽四重奏の父と呼ばれています。

モルツィン伯爵家の楽長になる1757〜58年頃から、2度目のロンドン滞在(1795年)まで、ハイドンは交響曲を作曲し、106曲もの作品を残しました。

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モルツィン家楽長時代

モルツィン伯爵家の楽長時代には、5曲の交響曲を作曲ました。いずれも、2オーボエと2ホルン、そして弦楽といった、前古典派の標準的な編成でした。

エステルハージ家楽長時代以降の交響曲は、1761年〜84年までの期間と、86年〜95年までの期間に分けられます。

エステルハージ家楽長時代

1761年〜84年までの間の作品は、エステルハージ家の楽団のために作曲されました。第6番〜第81番までの76曲がここに含まれると言われています。24年間に及ぶこの創作活動において、古典派の交響様式が確立されました。

コンチェルト・グロッソ様式の最初期の交響曲(第6〜第8番、《朝》Le Matin、《昼》Le Midi、《夕》Le Soir という標題がつけられています)から、1765年〜72年の間に作曲されシュトルム・ウント・ドランク Sturm und Drang を表現する7曲の短調交響曲(第34、35、39、44、45、49、52番)を作曲する中で、1755年にはメヌエットを第3楽章とする4楽章制が確立しました。

※シュトルム・ウント・ドランク: 日本語では「疾風怒濤」と訳されます。フランス啓蒙主義思想の合理性の追求に反対し、18世紀後半のドイツで起こった文学運動です。人間の自然な感情や、その発露を重要視しました。代表的な作品としてはゲーテ『若きウェルテルの悩み』が挙げられます。音楽にも同じような傾向が、1760〜70年代のハイドン、C. P. E. バッハの交響曲から聴くことができます。

※メヌエット: 比較的ゆったりとしたリズムで優雅に踊られるヨーロッパの宮廷舞踊。4分の3拍子で、各小節の1拍目にアクセントが置かれます。由来はフランスの民俗舞踊。

楽器編成も、1フルート、2オーボエ、2ファゴット、2ホルン、弦楽が定型になり、作曲の形式・様式もまた確立されました。

1786年〜95年

1786年〜95年の間、ハイドンは外部からの依頼によって交響曲を作曲するようになりました。この間の作品は、曲集になっています。

  • 《パリ交響曲》The Paris symphonies(第82番〜87番)

  • 《トスト交響曲》(第88〜89番)
  • 《ドーニ交響曲》(第90〜92番)
  • 《ザロモン交響曲》(第93番〜104番)

がこの時期の作品に含まれます。

作曲様式はより精巧になり、特に第88番は少ない素材から楽章を構成し、第90番以降では古典派の交響様式が完成します。

特に有名なのは、第92番《オックスフォード》Oxford でしょう。

《ザロモン交響曲》では、オーケストラ編成が1フルートから2フルートへ、さらにクラリネット2本の加えられ、2管編成の様式が確立しました。

《サロモン交響曲》は、前回のエントリーでも取り上げた「ザロモン演奏会」で初演された12曲の交響曲です。エピソードやニックネームのついている作品が多く、

  • 《驚愕》Surprise(第94番)
  • 《奇跡》(第96番)Miracle
  • 《軍隊》(第100番)Military
  • 《時計》Clock(第101番)
  • 《太鼓連打》Mit dem Paukenwirbel(第103番)
  • 《ロンドン》London(第104番)

があります。


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