今回から古典派の西洋音楽を取り上げます。
さて、前古典派でも少し述べましたが、古典派とは一体、どのような時期を指して古典派と称されるのでしょうか。
目次
「古典」とは何か
前古典派と内容が重複しますが、そもそも「古典」とは何か、そのおおまかな意味を捉えることにしましょう。
古典とは、その意味通りに捉えれば、「古い形式」、あるいは「古い書物」ということになります。中学校や高校で習った「古典」の授業、古文とも言いますが、「古い形式」「古い書物」といった古典は、先ずはこのような意味です。
しかし古典にはまた別の意味があり、つまり、「長く時代を超えて規範とすべきもの」という意味です。これは、英語の classic / classical を日本語に訳した場合の「古典」です。西洋音楽史の場合の「古典派」の「古典」も、「長く時代を超えて規範とすべきもの」という意味です。
では、「長く時代を超えて規範とすべき」古典としての音楽は、西洋音楽において、具体的にはいつ頃の年代になるのでしょうか。教科書的には、
ただそれでも、古典というのは classic = 「長く時代を超えて規範とすべきもの」という意味が強いというのは否定できません。教科書的には、ごく狭い意味では1780年から1820年まで、広い意味ではハイドン Franz Joseph Haydn 、モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart 、ベートーヴェン Ludwig van Beethoven の活躍した時期になります。この時期の音楽が 、「長く時代を超えて規範とすべき」音楽だと、教科書的にはみなされているわけです。
もちろん、古典派の活躍した時代というのが、ごく狭い意味では1780年から1820年までと考えられているため、現在からしてみると約200年も前であり、「長く時代を超えて規範とすべき」という意味だけでなく、「古い形式」という意味も近年では込められていることでしょう(この時期の音楽が、一体いつ頃「古典派」と名づけられたのか、については分かりませんので、何とも言えないところですが・・・)。
古典派と称される時期
前述の通り古典派とは、狭義では1780年から1820年までです。
より具体的には、1780年とは、ハイドンの円熟期の作品が出版され、同時にモーツァルトがウィーンで定住し始める頃です。また、1820年は、ベートーヴェンの晩年の特異な様式に至る時期です。
したがって、ハイドンがモルツィン伯 Karl von Morzin ・エステルハージ侯 Esterházy 両家の楽長を務めていた時期や、モーツァルトがザルツブルクを中心にヨーロッパ各地で活躍していた時期は、前古典派に含まれます。また、1820年以降のベートーヴェンは、同時期にシューベルト Franz Peter Schubert が交響曲《未完成》を作曲しているという点で、ロマン主義に含まれることがあります。
古典派と前古典派
1827年、ベートーヴェンが没し、その翌年にシューベルトが没すると、ウィーンは創造的な音楽都市としては停滞してしまいました。このことから、ウィーンでのハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの3人の音楽活動が、非常に注目された活動だった、と言うことができるでしょう。
ただし18世紀の音楽は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンだけではありません。前古典派のエントリーでも述べましたが、各地域の前古典派の音楽活動は、1780年代以降も続き、19世紀のロマン主義へと直接つながっているからです。
つまり、18世紀においては、古典派と前古典派は併存していたと言うことができます(ある古いジャンルと新しいジャンルの併存は、冷静に考えれば、なにも18世紀に限らず、現在のポピュラー音楽でも同じようなことが起こっているので、特別なことではありません)。
ではなぜ、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンの3人が、特に古典派と称されるのでしょうか。それは、この3人の作品が、19世紀以降現在に至るまで、コンサートで演奏され続けているからです。つまり、繰り返しますが、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンの作品は「長く時代を超えて規範とすべき」と多く人々に捉えられ、コンサートで演奏され続け、従って古典派と称されるようになっているのです。
古典派の音楽的特徴
18世紀において古典派と前古典派は併存していましたが、それでも、古典派は前古典派の延長として理解することができます。前古典派は古典派に影響を与えていた、ということです。
それでも、古典派の音楽派には、ウィーンの文化史的・社会的な条件によって、そして3人の作曲家による個性的な創作によって、独自の形式・内容があります。
文化史的・社会的な条件としては、ウィーンでは、パリやロンドンでのような聴衆の成立が遅かったと言われています。古典派の時代の宮廷は、イタリア・オペラやジングシュピールを保護し、そして貴族たちが作曲家たちを保護していました。
作曲家たちは、声楽曲より交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏曲などの器楽曲をさかんに作曲し、作品は演奏会で演奏され、出版されてヨーロッパ各都市に普及しました。
古典派の形式的・内容的特徴としては、前古典派の上声部優位の平板なホモフォニー様式が、対位法様式と融合しました。この結果、各声部が対等になり、「主題動機労作」によって緊密に関係し合うことになります。
主題動機労作とは、作曲技法の一種で、主題旋律をいくつかの旋律またはリズム動機に分割し、楽曲展開に活用する方法です。主にソナタ形式の推移部・展開部などで用いられます。これによって楽曲全体が、主題または主題に由来する動機によって統一されることになります。例として、ハイドン 《ロシア四重奏曲》を挙げておきましょう。
音楽形式は、ソナタ形式が中心になります。ソナタ形式とは、主調から属調(平行調)への転調と主調への回帰を基礎にした二部分形式のことですが、ベートーヴェンは新しい作曲法でこの形式を拡大し、ダイナミックな展開を可能にしました。
オーケストラ編成は2管編成、つまり、各一対の木管楽器とこれに合う金管楽器・打楽器・弦楽器を備えた編成が標準になり、ベートーヴェンはさらに多彩で大規模な編成を要求しました。また、管楽器のパートは楽曲の構成に欠かせない、オブリガート声部、つまり、あらかじめ作曲家によって記譜され任意に付加・削除できない声部になりました。
参考文献
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』