西洋音楽史、バロックの5回目です。
さて、前回のエントリーまでで、バロック期におけるオペラの誕生、イタリアのオペラ、フランスのオペラを取り上げましたが、今回はドイツとオーストリアのオペラです。
西洋音楽史、バロックの2回目です。
前回はコチラ。
バロック音楽(1)バロック時代の概要
今回は、バロック音楽の特に声...
西洋音楽史、バロックの3回目です。
前回はコチラ。
バロック音楽(2)オペラ
なお、西洋音楽全体の目次はコチラ。
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西洋音楽史、バロックの4回目です。さて、前回は、バロック時代に誕生したオペラについて、主にイタリアにおける発展を取り上げましたが、
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1.イタリア・オペラの席巻
バロック期では、ドイツとオーストリアで上演されていたオペラは、ほとんどがイタリア・オペラでした。
当時のウィーンの宮廷は、イタリア・オペラが席巻していました。そこでは、
- チェスティ
- ドラーギ
- ボノンチーニ
- カルダーラ
といった、イタリア人作曲家・歌手が活躍していました。
また、ウィーンの宮廷詩人だったメタスタージオ Pietro Metastasio は、イタリア・オペラ最大の台本作家だったと言われていますが、彼もイタリア人でした。
2.ドイツ人のオペラ作家
ドイツ人のオペラ作家がいなかったわけではありません。
当時、ドレスデンが中部ドイツにおけるイタリア・オペラの中心地でしたが、ここを中心に活躍したオペラ作曲家として、ハッセ Johann Adolph Hasse が挙げられます。彼はドイツ人です。
ドイツ語のオペラも、17世紀前半からは上演されるようになりました。発端はシュッツ Heinrich Schütz 《ダフネ》Daphne ですが、この作品の音楽は消失しています。
ただ、ドイツ語オペラは各地で散発的に上演されはしましたが、ハンブルク以外で大きな流れになることはありませんでした。
3.三十年戦争の後
1618年から1648年までの「三十年戦争」とその後の復興の時期には、音楽活動は下火になりました。それでもやがて、宮廷に劇場が建設され、オペラが上演されるようになります。
1878年、ハンブルクには公開劇場が建設され、ドイツ語の新しいオペラや、翻訳されたイタリア・オペラが盛んになりました。
この頃の中心的な作曲家として、
- タイレ
- クッサー
- カイザー
- マッテゾン
- テーレマン
- ヘンデル
が挙げられます。
【参考文献】
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』