革命のリビドー: 宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』公開初日・初見ネタバレ考察

(出典: https://twitter.com/JP_GHIBLI/status/1679505979262619649 )

本記事には『君たちはどう生きるか』のネタバレが書かれています。


公開初日、レイトショーで観てきました。

タイトルの元ネタになった小説は読んだことがあります。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』。ただし、何年も前で、内容もうろ覚えです。

鑑賞前のネタバレは、声優と主題歌程度で、それ以外はありませんでした。物語についての事前情報はナシ。

ただし、先入観として、吉野源三郎の小説が原作だと思い込んでいました (逆に言うと、それくらい事前情報を知らなかった)。

だから、映画が始まったとき、いつコペル君やおじさんが出てくるのだろう、と、しばらく不思議に思っていました。やがて、主人公の少年の名前が眞人だったり、ファンタジーめいてきたりしていくに連れて、「ヒドい原作改変だ!」くらいに、鑑賞中、勘違いしてしまいました。

吉野源三郎の小説が原作ではなく、あくまで原作は宮﨑駿だということ、タイトルだけ借りてきて中身は全く別物だと認識できたのは、エンドロールで「原作 宮﨑駿」の文字が流れてきてからです。

「記憶の中の原作と違うぞ?」と混乱しながら観ていたものだから、はっきり言って意味不明でした。戦争は「どうでもいいこと」と言わんばかりに、あっさりとした後日譚のあと、スクリーンが真っ青になったとき、私の頭の中は疑問符だらけでした。

「メタファーに次ぐメタファーで意味不明が過ぎる」

率直な感想です。

同時に、

「とんでもないものを観た」

「これは傑作だ」

ともまた、率直に思いました。

鑑賞した当日の夜はあまりの衝撃で、この作品への「意味不明」「とんでもない」「傑作だ」以外の言葉が浮かびませんでした。

しかし、あらすじを冷静に思い出し、ネットに公開され始めたネタバレ記事を少しだけ参考にするうちに、私の中でだんだん、『君たちはどう生きるか』への言葉があふれてきました。

以下は私の考察ですが、はっきり言って、自分でも支離滅裂だと思います。

ただ、これを書きたかった。

たまたま読んでしまった方が不快に思ってしまったら恐縮です。

というか不快だと思います。

書いている私自身が不快ですから。

しかし、『君たちはどう生きるか』という傑作を鑑賞して一夜明けて沸き起こった「書きたい」欲を、どうしても抑えきれませんでした。どんなにデタラメでも、書くことを禁止されている訳ではありませんし。

何より、他の人の考察がまだたくさん出ていない、また、公式のパンフレットや設定集が発表されていないこのタイミングで、自分の言葉をまとめておきたかった。何と (何を) 言っても自由ですから。

なおすでに、はてな無料ブログを開設したりして少しメモを公開していますが、それらをまとめた文章になります。

この文章を書いているいま、鑑賞後 2 日経っています。1 回しか観ていないので記憶違いのところもあると思います。が、いまの、私の、『君たちはどう生きるか』への考えをまとめておきます。

鑑賞中、次から次へ表現されるメタファーに対して、言葉が一切出てこなかったわけではありません。

例えばワラワラが二重螺旋を形成するときはもちろん、DNA が思い浮かびました。しかし、なぜワラワラが DNA なのかは、今のところ不明です。というかキリコと過ごしたシーンは、いまだに謎だらけです。

眞人が迷い込んだ異世界は、二重構造になっているかと思います。入口で青サギとバトルした場所も含めると三重構造、大叔父の場所まで含めると四重構造になりますが、大きくは、キリコと過ごした海、そしてヒミと過ごした (インコが支配している) 城、この二重構造になっていると思います。

現実世界も含めると、『君たちはどう生きるか』の世界は三重構造になっています。

これは、フロイトの自我、超自我、イドを連想させます。

以下、この文章はこのような話がえんえんと続きます。すべて私の、よく言えば解釈、悪く言えば妄言です。妄言に付き合うのが苦手な方は、ここで読むのをやめるのをオススメします。

ネットでいくつか、ネタバレ考察記事を読みました。多くが、宮﨑駿の人生を考慮した考察でした。私は熱心なジブリ・ファンでも映画ファンでもないので、宮﨑駿の人生についてはよく知りません。また、過去作からの引用もよく分かりません。作家の人生から作品を読み解くのは、作品を深く愛するために必要な行為だと思います。ただ、他のアプローチも許されていないわけではありません。作家の人生との関係にとどまらず、もう少し一般的な観方ができないか、という私なりのアプローチです。こんなことを言うと顰蹙を買いそうですが。

しつこいですが、ここから述べることは、私によるトンデモ考察記事です。

苦手な方はここで読むのをやめてください。

浅薄な悪趣味を嘲笑う心の余裕のある方のみ、読み進めてください。

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フロイト的、あまりにフロイト的

さて、『君たちはどう生きるか』の世界観が、フロイト的意識構造と類似していると思いついたのか。鑑賞中にフロイト的連想をしてしまったからです。

その連想は物語序盤で徐々に形成され、そしてクライマックス、異世界から帰還したシーンで、大きく膨れ上がりました。

物語を通じて、艶かしく、そしてキムタクとのキスシーンまで (音声だけですが) 描かれた義母の顔に、インコの白い糞尿がかかっていたからです。

品性下劣な私はすぐに、男性性の発露である白い体液が、義母の顔面にかけられているのだ、と連想しました。

連想は鑑賞直後はそれだけだったのですが、公開初日の鑑賞から一晩開けた翌日、物語の記憶をたどるにつれ、どんどん広がっていきました。

その次にすぐに思いついたのは、青サギもまた、男性の肉体的特徴のメタファーであるということです。

青サギは、現実世界では鳥の「皮をかぶって」いますが、異世界ではその「皮を剥き」、汚い大きな鼻のおっさんが現れます。

青サギはそうした、汚い、しかし生命のリレーには欠かせない肉体的器官を表しているのであり、また、欲そのものでもあります。

眞人は、父の再婚相手である義母と生活をし始めることで、欲そのものである青サギを目撃するようになります。そして、義母は青サギを追い払おうとする・・・、これはつまり、眞人が義母をトリガーに青サギ = 欲そのものに目覚めたことを意味します。義母が、青サギから眞人を遠ざけようとするのは当然のことです。

眞人は、青サギをコントロールしようと、弓を作ります。青サギを矢で「射「抜く」」ことで、欲そのものを制御しようとしているのです。その相談相手になるのは、使用人のお年寄りの老男です。あんなに老女がいるのに、相談できるのは男だけです。

眞人はなぜ、石で自傷したのか?

ここまで書けば、眞人が謎の青サギについてなぜ、父に相談しなかったのかが明らかになるでしょう。眞人が父に相談しなかったのは、父と対立しているからです。これはもちろん、エディプス・コンプレックスの変奏です。錯綜しているのは、母が二重だからです。欲そのものに目覚める前に失ってしまい、精神的に・純朴に慕う対象である実母。そして、欲そのものを目覚めさせた義母。この二重の母を、眞人自身のものにするには、父を乗り越えるしかありません。

この映画では、父はなんかイヤなヤツとして描かれていますね。キムタクが憎まれ役なのは、貴重なのではないでしょうか。

さて、父に相談することは、父よりも力が弱いことを示してしまうことであり、父を乗り越えて母を手に入れたい眞人にとってそれは避けなければいけません。そもそも、義母をきっかけに青サギ = 欲そのものに目覚めたなどと、父に相談できるわけがありません。

父との対立から、眞人が頭を石でぶつけて自傷した理由も明らかになるでしょう。眞人は転校先の小学校で手厚い歓迎を受けますが、父を乗り越えたい眞人は、ケンカに負けたなどとは口が裂けても言えません。ケンカで負けるよりもヒドい傷を、石で自らに刻みつけることで、カモフラージュ = 創作するのです。

この石によってカモフラージュ = 創作した傷は、眞人の側頭部に消えずに残り続けます。『君たちはどう生きるか』に作家の自伝的要素があるとすれば、自らを傷つけた道端の小石こそ創作の始源であり、石はその後も何度も創作の象徴として物語に出現する・・・、と結びつけるのは妄想が過ぎるでしょうか?

もうすでに、インコの糞尿が義母の顔にかかったことからフロイトを連想してしてしまっているので、どんなに妄想しても妄想し過ぎることはないでしょう (さ、さすがに自分で書いていて意味不明ですね)。

とにかく、石はまた、この物語で重要なアイテムだということは間違いないでしょう。塔は隕「石」のようで、大叔父は大きな石からインスピレーションを受け、そしてラストで異世界から帰還した眞人は石を持ち帰ります。

眞人が、父の目を欺きカモフラージュするために頭を傷付けた石は、物語の重要な場面で登場するのです。

道端の石によってカモフラージュ = 創作に目覚めた眞人が次に出会うのは、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』です。ここで、物語のもう一つのテーマが顕れます。そう、共産主義です。

私は、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を、何年も前に読んだことがあります。そして、今回、『君たちはどう生きるか』が映画化されると知って、勝手に心配してしまいました。『君たちはどう生きるか』は児童向けの共産主義のプロパガンダです。戦後最長の安倍政権時代で醸成された保守派の声が大きくなる一方、弱腰なリベラルが非難され、コロナ禍・ウクライナ戦争を経て原発再稼働止むなしな風潮も見受けられるこの、令和 5 年の現代日本に、共産主義プロパガンダである『君たちはどう生きるか』をアニメ映画化して大丈夫なのか?

この心配は実際にはもちろん杞憂で、アニメ映画『君たちはどう生きるか』はタイトルだけが借りられ、内容は宮﨑駿のオリジナル。ではあるのですが、では、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』が完全に換骨奪胎されているのかというと、そうではないと私は思います。

アニメ映画『君たちはどう生きるか』は、フロイト的エディプス・コンプレックスの変奏であると同時に、宮﨑駿なりの共産主義宣言なのではないか、というのが、私の見立てです。

もう少し物語を追っていきましょう。

異世界の構造

石で頭を自傷することでカモフラージュ= 創作を身につけた眞人は、『君たちはどう生きるか』で共産主義の思考という武器も手にし、いよいよ父を乗り越えようと試みます。森へ消えた義母を救出するため、異世界へ飛び込むのです。火事から実母を救えなかった父を、義母を救うことで乗り越えようと。使用人の老女・キリコを供に。

しかし、老キリコとは、異世界の入り口で、青サギのクチバシを矢で射抜き、正体を暴いたところで離れ離れとなります。これは、青サギ = 欲そのものを制御下に置くことができたことで、大人の手助けが不必要になったことを意味するのではないでしょうか。

そしていよいよ、本格的な異世界へ突入します。

異世界は大きくは二重構造で、海と城に別れています。海では若キリコと、城ではヒミと行動を供にします。

海のシーンは特に不可解な事象が多く、なぜ墓に近づいてはいけないのか。のっぺらぼうの透明な船夫たちは何を意味するのか。ワラワラとは? ワラワラは、夜、現実世界へ上昇していきながら二重螺旋 = DNA を形成しようとしているので、生命とか、誕生とかに関係しそうだ、というのはなんとなく分かるのですが (この夜も、なぜ満月ではなく、月が半端に欠けているのか、など、気になるところが多いですね)。ではなぜワラワラはペリカンに食べられ、なぜヒミはペリカンを焼くのか・・・。特に謎が多いですね。

ですが、現実世界と二重の異世界の構造を、超自我と自我、イドの関係と対比すると、若キリコと行動を供にした海の世界は、自我、つまり現実世界とイド = 完全な無意識を調整する、教育的な役割を担っていると考えられないでしょうか?

ですので、若キリコは 3 人目の母なのです。精神的支柱である実母と、肉体的欲の対象である義母、そして、キリコ育ての親、というわけです。

この、夜の海のシーンでの、ペリカンと眞人の会話は、非常に重要だと思うのですが、あまり覚えていないので、「こういうことなのでは?」的な考察ができません。まだ一度しか観ていないので。すみません。

育ての親と別れ、再び青サギと供になり、眞人は異世界のさらに奥 = 城の中へ進みます。そこはイド = 無意識の世界で、大量の擬人化され・食のために労働するインコに襲われ、また、ヒミ = 若い頃の実母と出会います。

城の中には義母がいますが、義母と会うことは禁忌です。なぜかは明らかですね。それは眞人が義母を欲の対象としているからです。義母は、実母の妹であり、眞人とも血縁です。眞人がイドの世界で血縁 = 近親の義母と接触することが禁忌なのは、そういった理由です。

義母が眞人を「大嫌いだ」と追い出したのも納得でしょう。この場合の「大嫌い」が、本当に嫌いなのか、それとも追い出すための嘘なのかは分かりませんが。

なお、この辺りもかなり鑑賞時の記憶が曖昧なので、あらすじ上の前後や漏れがあると思います。恐縮です。

大叔父の正体

場面はクライマックスへ向かいます。眞人は無意識の創造主の大叔父と出会います。大叔父は、現実世界では、塔に閉じこもって本を読みすぎて行方不明になったという設定です。大叔父は眞人に、13 個目の石を積んで、理想的な世界を継いでほしいと依頼します (この辺りも鑑賞時の記憶が曖昧です)。が、眞人はこれを拒否します。

これは鑑賞後に調べて知ったのですが、12 個というのが、どうも宮「崎」駿が監督したアニメ映画の数らしいですね。ですので、ネット上の考察記事によると、12 個の石 = 宮崎駿の作品の数、そして 13 個目を積むのを拒否する眞人 = 映画はこれ以上作らないという、宮「﨑」駿の意志 = 石だ、ということらしいです。

なので、大叔父は多様なメタファーです。アニメ監督・宮「崎」駿自身でもあるし、スタジオ・ジブリでもあるし、ジブリ映画への出資者でもあるし、ジブリ・アニメファンのオタクでもある。とにかく、眞人が無意識の世界で 13 個目の石を拒否することで、今までの路線のジブリ映画を、もうこれ以上作らないぞ、という宮「﨑」駿の宣言なのではないか、というのが、他の考察記事の言いたいところのようです。

この文章では、なるべく作家の人生と切り離して、物語を解釈しようとしていますが、13 個目の石の拒否のところは、作家の人生も絡めざるを得ないな、と私も思います。

ただ、もう少し大胆な解釈をしたいと思います。

大叔父は多様なメタファーですが、そのなかに出資者が含まれます。大叔父は理想的な世界を、眞人に継がせたがっていますが、ここにややミスリードがあります。理想的な世界 = ユートピアというと、タイトル『君たちはどう生きるか』から、どうしても共産主義を連想してしまい、大叔父 = 共産主義の権化のように捉えてしまいがちですが、大叔父はあくまで、今までのジブリ映画を支えてきた諸システムです。

大叔父は、鑑賞者のための映画を作り続けた監督自身であり、スタジオ・ジブリであり、消費するオタクであり、出資者です。つまり、大叔父は、理想という言葉を使いながら、実は資本主義的諸システムだというのが、私の予想です。ジブリという国民的アニメ映画 = 理想を再生産する = 資本主義システム、それが大叔父なのです。もうめちゃくちゃですけど。すでにめちゃくちゃですので。めちゃくちゃ序でです。ここまで読んでくれている方には本当に感謝します。

そして大叔父 = 資本主義的システムの継続を眞人は拒否します。なぜ拒否するのか。現実世界で、石によって自傷したからですが、というのも、石で自傷したのは父へのカモフラージュ = 創作、そして創作したのは父を乗り越えたかったからであり、父を乗り越えたかったのは義母を欲の対象にしたからです。精神的支柱である実母を慕いながら、同時に義母を欲するという「汚れ」の証が、眞人の頭の傷であり、創作の源であるなら、そのような「汚れ」を動機とした再生産は、大叔父の継承ではあり得ない。というのが、拒否の理由でしょう。

そして大叔父の世界を壊した張本人は・・・、そう、インコの大王です。

インコは、無意識の世界では食欲のために労働します。その労働者のヒーローであるインコの大王が、資本主義的システムである大叔父の世界を破壊するのです。これはまさに革命です。

もちろん、本当の意味での革命とは違うと思います。私有財産を否定したりであるとか、そこまでではないはずです。あくまで、映画『君たちはどう生きるか』なりの、既存の再生産システムの破壊である、という意味での革命のはずです。たぶん。

『君たちはどう生きるか』の宣言

眞人は、欲の目覚めをきっかけとなった義母を救出し、父を乗り越えるために、異世界 = 無意識へ冒険に出た。たどり着いた先に出会ったのは、理想を再生産しようとする資本主義的システム = 大叔父だった。しかし眞人は再生産を否定し、労働者インコのヒーローの手を借りて資本主義的システムを破壊し、現実世界へ帰還するという革命を起こしたのです。

では眞人が、再生産を拒否してまで選択した現実世界とは、どのような世界なのか。精神的支柱である実母を再び災禍へ落としてまで帰りたかった世界とは (しかしなぜキリコもヒミと一緒の扉を開けたのか?)?

それが、インコもペリカンも、そして青サギもいる世界なのです。汚い世界を選んだのです。インコもペリカンもみんなと一緒の、汚い世界を。義母の顔面に、インコの白い糞尿を浴びせながら。理想の世界に引きこもって再生産するのではなく、現実世界に戻ってみんなと汚く生きていく。糞尿を浴びながら。これが、眞人の選択でした。

ここまでくると、現時点の、他のネタバレ考察記事と似たような結論になります。

理想のために引きこもってないで、汚い現実をみんなと生きる。

これが、映画『君たちはどう生きるか』の宣言です。

そのことが眞人にとってどれくらい大切なのか。

あっさりとしたエピローグから読み取れます。

映画冒頭であれだけ、重々しく戦時下の暮らしを描いておきながら、眞人の現実世界へ帰還後の戦争は、あっという間に終わります。つまり眞人にとって、戦時下の暮らしの経験よりも、異世界での経験の方がよっぽど印象深かったことを意味していると思います。

そう、戦争なんて、どうでもいいのです。

以上、私なりの、映画『君たちはどう生きるか』公開初日・初見レビューでした。なにぶん、まだ 1 回しか見ていないので、あらすじ上の記憶が曖昧な部分が多く、解釈以前にあらすじをそもそも誤解している可能性があります。

が、公式でパンフレットなどがまだ発売されていない中、あれやこれやと好き勝手に感想を述べるのはとても愉快です。

公式設定集などが発表されていないからこそできる、お遊戯。なかなかできるものではありません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

※ 補足記事を 2 本、書きました。

  • http://musicmusicologic.com/the-movie-for-all-of-mother/
  • http://musicmusicologic.com/discuss-discuss-models-of-characters/
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