西洋音楽史、20世紀前半の2回目です。前回はコチラ.
1.モダニズム
さて、20世紀前半の西洋音楽をみていくに当り、その起点となるのは表現主義Expressionismです。
表現主義は、印象主義 Impressionnisme の反動として生じました。表現主義が生じるまでには、音楽以外の芸術にも見受けられるモダニズム modernism という潮流が、西洋音楽でも高まり、その結果、約300年間、西洋音楽を支えてきた調性、機能和声が崩壊していった、という背景があります。つまり、過去から切り離された全く新しい創造を、モダニズムを掲げた作曲家たちは目指していたわけです。
2.表現主義
表現主義は印象主義の反動、ということですが、もう少し具体的にみていきましょう。先ず、印象主義のおさらいです。印象主義とは大まかに言えば、自然を、外界から受けるイメージのままに受け止めて、音を表そう、という西洋音楽における考え方でした。表現主義とはその反動ですので、「外界から受けるイメージ」ではなく、人間の内部の、ふだん表には現れないような追いつめられた感情を強調しよう、としました。「追いつめられた感情」とは、例えば、不安・恐怖・罪・死・狂気といった生々しい情感です。
この表現主義の代表的な作曲家としては、ロマン派・後期ロマン派の流れをくんで創作を始めた、シェーンベルク Arnold Schönberg 、そして、彼の弟子であるベルク Alban Maria Johannes Berg などが挙げられます。
シェーンベルクやベルクは、「追いつめられた感情」を表現するために、機能和声や調性から解放された「無調」による作曲を推進しました。
3.新ウィーン楽派
表現主義のなかでも、シェーンベルク、その弟子であるヴェーベルン Anton von Webern 、ベルクの3人は、新ウィーン楽派 Zweite Wiener Schule と呼ばれています(実は新ウィーン楽派は、表現主義だけではなく、1920年代には、無調をシステム化して十二音技法 Twelve-tone musicへと発展させます。これについてはまた別のエントリーで取り扱いたいと考えています)。
新ウィーン楽派の3人は、いずれも初期には後期ロマン派風のオーケストラ作品を残しています。シェーンベルクが無調の音楽を作曲し始めたのは、1908年の《2つの歌曲》Zwei Lieder からです。
4.シェーンベルク
《2つの歌曲》作曲のきっかけとなったのは、シェーンベルクの妻が若い画家と駆け落ちし、その駆け落ち相手が自殺した、という体験があったと言われています。
また、シェーンベルクに続き、ヴェーベルンも1909年に《4つの歌曲》 という無調の作品を発表しました。
シェーンベルクが無調の作曲を始めた当初は、歌の言葉を手掛かりに組み立てていきました。彼は半音階や4度和音、増3和音といった不協和な音群を単独で使いました。そしてこれらの不協和な音群と、歌の言葉=テキストを対位法的に組み合わせ、楽曲の展開を支えていました。
シェーンベルクの無調時代の代表作として挙げられるのは、《月に憑かれたピエロ》Pierrot lunaire です。
《月に憑かれたピエロ》は、ベルギーの詩人A. ジロー Albert Giraud の表現主義的な詩を、O・E・ハルトレーベン Otto Erich Hartleben が独訳したテキストによって書かれた室内楽伴奏による前21曲のメロドラマです。内容は、青色の月夜に浮かれ出てピエロが歌うもので、女優のA・ツェーメ Albertine Zehme に捧げられました。音楽技法としては、シュプレッヒゲザング Sprechgesang が考案されました。シュプレッギゲザングとは、言葉が感情のゆれ動きにそって、台詞に近い響きで歌われる技法です。シェーンベルクはこの技法を、未完の歌劇《モーゼとアロン》 Moses und Aron でも使用しました。
5.ベルク
また、シェーンベルクの弟子、ベルクも、歌劇《ヴォツェック》Wozzeck でシュプレッギゲザングの技法を応用しています。
《ヴォツェック》は、無調によるオペラの代表作です。3幕15場の作品で、台本は実在の人物に取材したビュヒナー Karl Georg Büchner(19世紀ドイツの革命家、劇作家、自然科学者)の未完の戯曲を、ベルク自身が再編しました。貧しい兵士ヴォツェックが情婦マリーと鼓手長の不義に苦しんだ挙げ句、マリーを殺し、ヴォツェック自身も溺れ死ぬという物語です。
6.ヴェーベルン
シェーンベルクのもう1人の弟子、ヴェーベルンは古い時代の多声音楽に関心があり、音楽学の博士論文を書いた後、作曲を始めました。新ウィーン楽派の他の2人、シェーンベルクやベルクに比べると、表現主義的な傾向を持つ作品は多くありません。
表現主義的な傾向は少ないとは言え、ヴェーベルンは、シェーンベルクと相次いで「機能和声や調性から解放された」無調の楽曲を作曲し始めます。特に、《弦楽四重奏のための6つのバカテル》や《管弦楽のための5つの小作品》では、「ひとつの身振りで一篇の小説を表す」とシェーンベルクが述べた、凝縮された無調の世界が表現されています。
《弦楽四重奏のための6つのバカテル》や《管弦楽のための5つの小作品》は、数小節から40小節くらいまでの短い、アフォリズム風の表現がなされていると言われますが、こうした楽想の断片化もまた、表現主義の音楽にみられる特徴の1つです。
7.十二音技法へ
無調による創作、あるいは表現主義が生まれた背景には、シェーンベルクのプライベートな事情があったのも確かですが、第1次世界大戦に向かう不安定な社会情勢があったとも言われています。新ウィーン楽派は、第1次大戦が終わる頃まで無調音楽を創作し続けました。そして第1次大戦後、1920年代には、システマティックに無調の響きを作り出す、十二音技法へ発展してきますが、これについては別エントリーで取り上げます。
次回は原始主義です。
【参考文献】
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』