毎年、5月のゴールデンウィーク中に開催されますクラシックの祭典、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン La Folle Journée au Japon(以下、LFJ)。
ワタシは2年振りに行ったのですが、3日目、5日5日に7公演鑑賞しました。2年前までは、1公演しか鑑賞しなかったんですけれども、今回は、まあ、せっかく行くんだったら朝から晩まで聴いてやろう、ということで。
鑑賞したした公演
で、鑑賞しました公演は以下の通り。
プログラム名:なし
- 出演者: レジス・パスキエ(ヴァイオリン)、アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
- 曲目: フォーレ《ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調 op.13》サン=サーンス《ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調 op.75》
プログラム名「20世紀パリ:音楽の冒険」
- 出演者: アンサンブル・アンテルコンタンポラン
- 曲目:ラヴェル《序奏とアレグロ》、ブーレーズ《シュル・アンシーズ(3台のピアノ、3台のハープ、3台の鍵盤打楽器のための)》
プログラム名:「パリとスペインのマリアージュ②」
- 出演者: デボラ・ネムタヌ(ヴァイオリン)、ラムルー管弦楽団、フェイサル・カルイ(指揮)
- 曲目: サン=サーンス《序奏とロンド・カプリチオーソ op.28》、《ハバネラ op.83》、デュカス《交響詩「魔法使いの弟子」》、シャブリエ《狂詩曲「スペイン」》
プログラム名: なし
- 出演者: 清水和音(ピアノ)
- 曲目:ドビュッシー《「映像」第1集》、ラヴェル〈夜のガスパール〉
プログラム名: 「20世紀パリ:音楽の冒険~未来の音楽家のために」
- 出演者:アンサンブル・アンテルコンタンポラン
- 曲目:ドビュッシー〈フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ〉、ブーレーズ〈デリーヴ1(6つの器楽のための)〉、ミュライユ〈セレンディブ(22人の音楽家のための)〉
プログラム名「パリ×ダンス」
- 出演者:勅使河原三郎 他
- 曲目:省略
プログラム名:「ファイナル・コンサート「パリの花火」」
- 出演者:ファニー・クラマジラン(ヴァイオリン)、カニサレス(ギター)、ルセロ・テナ(カスタネット)、ラムルー管弦楽団、フェイサル・カルイ(指揮)
- 曲目: サン=サーンス《序奏とロンド・カプリチオーソ op.28》。ロドリーゴ《アランフェス協奏曲》より第2楽章、ラヴェル〈ボレロ〉、ヒメネス《ルイス・アロンソの結婚式》より間奏曲(カスタネットとオーケストラのための)
このうち、印象深かったものを中心に、ちょろちょろっと感想を書きます。
ベストアクト
先ず、ベスト・アクトですね。ベスト・アクトとかいうと、ロック・フェスのレポートみたいですが。というかロックフェスのレポートの方が慣れ親しんでいるんですけれども。
アンサンブル・アンテルコンタンポラン Ensemble InterContemporain (以下、EIC)。EIC の公演は2回、それぞれ別のプログラムで聴いたのですが、特に2回目に聴きましたミュライユ Tristan Murail。
これが今年の LFJ で最高のアクトだったんじゃないか! と(いや、今年まで1年に1公演しか聴いてなかったんですけど(笑))。
EIC は、1976年にピエール・ブーレーズにより創設された、パリを本拠地とする現代音楽に特化した室内オーケストラ。
えー、上記動画は、ミュライユの楽曲ではないんですけれどもこの動画を観ていただいただけで、EIC が如何におそろしい演奏技術をもっているか、がお分かりになると思います。
で, ミュライユの〈セレンディブ〉。
最高です。
これ、聴いてたら分かる通り、予測不可能。或る瞬間から或る瞬間への時間の順次進行に従ったリズム、響きの予想というのを予想するのが、初聴だと本当に困難。いや、不可能。なんですが、これを「再現」する。感服ですよ。EIC には。目の前で何が奏でられているのか、耳が予想できない、のに、それを人力で再現しようとする。聴覚の驚きと視覚の驚き。この2つに感服しました。
だから、予測不可能な音楽ですので、ミュライユがスゴいのか、EIC がスゴいのか、まあ、両方なんですけれども。一瞬一瞬。極めて際限なく分節化されつつしかし全体として捉えられる時間というわれわれに与えられた認識の枠組みにおいて、その一瞬一瞬を本当に集中して聴かなければならない。一音も聞き逃してはいけない。そのハーモニーを、リズムを、楽曲に翻弄されながら、しかし追従し、聴き続けなければならない。EIC は演奏し続け、ミュライユによってその演奏が試されているわけですが、聴衆は。聴衆は、ミュライユによって試された演奏を聴き逃さずにいられるかどうか。これを試される。聴衆は、作曲者と演奏者両方に試されるわけです。「聴けるか」、と。
もうね、ゾクゾクしますよね(笑)
しかもライブ(笑) クラのライブ(笑)
終演後、拍手しながら泣きそうになりました。あまりに素晴らし過ぎて。
で、このあと2公演あったんですけれども、もう、これでいいじゃないか、という気分になりましたね。案の定、この EIC の演奏の余韻に浸って、その次の「パリ×ダンス」が、何ーか、まあ、ダンスすごいけど何がすごいかわからん、どっちや、という感じになってしまいまして。
最終公演
で、最終公演です。
正直、言うと、「ファイナルだから」。ていうミーハーな感じでチケット購入したんですが・・・。これもまた最高でした。
そんで、この、ファイナル。4曲ありまして、そのうちの3曲というのが、1曲目と2曲目はそれぞれ、ヴァイオリンとギターがソリストとしてフィーチャーされまして、それで、3曲目の〈ボレロ〉は。まあ、皆さんご存知、みたいな。
と、まあ、そこそこかな、と。当時のパリにおいて受容されたスペイン音楽をオーケストラで再現、みたいな。3曲目まではね。
ラヴェルの〈ボレロ〉は、あんーま好きじゃなくて、まあ、捉えようによっては、現代的なミニマル・ミュージックの先駆けとして聴けなくもないんですが、まあ、何で好きじゃないかはちょっと言語化が難しいんですけれども。
そんで、ラヴェルでけっこう会場の皆様は盛り上がってて、その時点で終演予定時刻まで残り数分で、大丈夫か、これ。という感じだったんですけれども。
3曲目まではね。
ただ。
たーだ!
最後ですよ。
ヒメネス Jerónimo Giménez《ルイス・アロンソの結婚式》La Boda de Luis Alonsoより間奏曲(カスタネットとオーケストラのための)。
カスタネットとオーケストラ。カスタネットのために書かれたオーケストラ曲。
この、動画に映ってらっしゃるおばちゃん、カスタネットおばちゃんですね。ざっくり言えば。カスタネットおばちゃんというと、何かこう、近所の頭おかしいおばちゃんみたいな。そういう感じに聞こえますが、実際、ホントに頭おかしいんじゃないかと思うくらい、めっちゃカスタネットですね。ほんと。で、このカスタネットおばちゃん、名前はルセロ・テナ Lucero Tena。で、LFJ のファイナルで聴きました素晴らしかった。
動画観たら分かると思うんですけど。もうね、圧巻。圧巻ですよ。圧巻という言葉がこれほど似合う公演はないんじゃないかというくらい、圧巻。
普通、普通ですよ!? カスタネットとオーケストラの競演。というと、カスタネットにマイクついてるとか思いますよね!? その前のギターにはマイクついてましたし。ワタシが無知なだけかもしれませんが。だって、カスタネットですよ!? われわれにとっては平沢唯の「うんたんうんたん」なんですよ。カスタネットっていうのは。でも。でも。どっからどう見ても、カスタネットにマイクついてない。けど、けど。ちゃんーっと響くわけです。カスタネットが。オケに混ざりつつ、しかし独立して、われわれの耳に(正に!)直撃するわけです。先ず、これに驚きましたね。カスタネットがオーケストラに負けてない。
で、この、カスタネットの魅力というものを、ワタシなりに分析しますと。カスタネットを鳴らす場合、4本の指を交互に、人差し指、中指、薬指、小指。というふうに、打ち付けて鳴らす。のと、親指とその他の4本の指でカスタネットをゆるーく固定して、手首で以って鳴らす。この2パターンで奏でる。と、そう見えました。
そんで、それが、おそろしいほどまでに高速なんですけれども、その一連の動作が。で、聴き手は、高速、故に、リズムが合っているかどうか。つまり、オケのリズムとカスタネットのリズムが同じなのかどうか。よっぽど玄人じゃないと、ちゃんと認識できない。ワタシのような素人では、ちゃんと認識でないんですね、リズムが合ってるか、どうか。つまり、カスタネットを鳴らすタイミングが、拍子に対してジャストなのかいなか。この点において。でも、ちゃんと合ってるように聴こえる。これはまあ、文字に起こせば矛盾っぽい感じなんですけれども。合ってるかどうか、それは分からない。ついていけないから。でも、ちゃんと合ってる。リズムが合っているとか合っていないとか別のところで、調和が生まれている。でもその「調和」は、合ってるかどうか分からない、という(ワタシという)聴き手の無能力さによって、破られる。この、調和と破れの絶え間ない押し寄せ。というのが、カスタネットの魅力なのではないでしょうか。
そんでこのルセロ・テナ。カスタネットおばちゃん。80歳近くカスタネット一本で凌いできたかと思うと。そういうストーリーみたいなものがですね、演奏から感じられて。そういう点でも胸アツでした。失礼ですよね(笑)、この言い方。
もうね、そういうのもいろいろ考えてしまいましてで、泣きそうになりました。ホントに。半分泣いてました。マジで。
調べてみると、もともとめっちゃ有名なカスタネット奏者、そしてタンゴのダンサーだそうです。
確かに。確かに、カスタネット演奏しているときに非常にダンサンブルな動きをされていらっしゃった。
スタンディングオベーション、ワタシ、初めてかも知れません。スタンディングオベーションしたの。
そしてアンコール!
カスタネットおばちゃんのソロ(笑)
スゴい。カスタネットって、先ほど言い忘れましたけれども、ただまあ、動画観ていただいたら気付いたと思うんですけれども、両手に持つ。で、その両手に持ってるカスタネットて、微妙に音程が違うらしい。素人のワタシには聴き分けられないんですけれども。と、いうことで、いちおう、ワタシには聴き分けられないほどの音程。つまりメロディーのようなものは発生していた。はずなんですけれども、そんなんなかなか聴き分けられないですよ、ということで、ほとんど音程の同一の正にリズムだけ。というのが、多くの人にとっての(いや、もしかしてワタシ以外の皆様は、カスタネット・ソロに何らかの豊かなメロディーを聴き取っていたのかもしれませんが・・・)カスタネット・ソロのイメージなのかもしれませんが、だからただただリズムだけが刻まれる、という。でも。でも、聴いた人には分かると思うんですけれども、音楽なんですよね。ただの、と言ったら大変失礼なんですけれども、カスタネットの奏でるリズムが。リズムだけが音楽として成立するわけですよ。もうね、これにも感動しましたね。まあ、ワタシが慣れ親しんでいるテクノとか、そういうクラブミュージックとか、そういう音楽もリズムだけのもありますけれども、そういうのとは違う、正に、人間そのもの、80年近く生きてきた1人の人間のリズム。グルーヴというのが感じられました。
そのままビゼー Georges Bizet《カルメン》Carmenより〈前奏曲〉(笑)
えー、動画は、LFJ の公式なんですけれども。
アンコールでオーケストラ!(は、申し訳ない、この辺の記憶が、カスタネット・ソロが先だったか、ビゼーが先だったか、が曖昧なんですけれども) オーケストラのアンコール! スゴい(笑)まあ、仕組まれてるとは分かってますが、ただ。オーケストラでアンコールがあるとちゃんと分かってる、予知できてる、ていうのがスゴいというか。
でね、オーケストラのアンコール。これだけでもけっこう衝撃なんですけれども。クラ初心者としては。何と、何とですよ。指揮者が! 振らない(笑)
何故か。何故指揮者は振らなかったのか。確か、ワタシの記憶が正しければ、カスタネット・ソロの後にほとんど間髪置かずに(違ったかな・・・!?)ビゼー演ったんですけれども。つまり、カスタネット・ソロへの拍手が鳴り止まないうちにビゼーが始まりまして、ということで、そのまま。観客がビゼーのリズムを手拍子で刻むことになってしまう。自然に。自ずと。で、オケは観客の手拍子をもとに演奏する。指揮者は振らない。ヤバい(笑)
ポピュラー音楽でたとえるなら、いや、たとえちゃダメなんですが、〈innocent world〉のサビを歌わすミスチル(笑)みたいな(笑) で、動画検索したら出てきますが、全部歌わせてるのとあります(笑)
いや、ハナシを元に戻して。
それのクラ版みたいな。ね。クラのコンサートって、やっぱ、ちゃんとね、静寂、というのが前提なんですけれども、観客が楽曲の演奏中に音を出すのなんてもってのほか、ていう。でも、まあ、ファイナル、ていうのもあったと思うんですが、そこはもう、本当に、大判振る舞いというか。観客が主体で、リズムをリードする。ていうのを、指揮者が「どうぞ」。てな感じで観客を信頼してくれているというか。
で、観客もですね、それにちゃんと応えるわけです。どう応えるのか。《カルメン》の前奏曲をお聴きいただければ分かるんですけど、いくつかのパートに別れている。メインテーマの流れるテンポの速い部分と、テンポのちょっと遅い部分ですね。で! で! われわれ(笑)、そのメインテーマの流れる部分というのをですね、ちゃんと分かってるわけですよ。ここやな! みたいな。で、その、メインテーマの流れる部分は手拍子して、で、ちょっと聴かせる部分、つまり、テンポのちょっと遅くなるところになると、ピタって手拍子止む。そしてその間は、ルセロ・テナのカスタネットとオケの調和にならない調和をちゃんと聴く。で、メインテーマになったらまた指揮者は指揮を放棄(笑) で、観客手拍子。みたいなね。
音楽はコミュニケーションだ、ていう考え方はワタシは好きではないんですけれども、つまり、音楽はコミュニケーションでもある、という考えを持っているんですけれども。その、音楽の持っているコミュニケーション性というのが、ここまで顕わになっているのを体験できるのは・・・、やっぱなかなかないですね。観客みんなが、ちゃんとその曲を知っていて、で、指揮者とオケは観客みんながその曲を知っているという信頼を寄せいていて、で、観客は指揮者に信頼されているということをちゃんと分かっていて・・・、ていう。これは、(分からない人には分からないと思うんですけど・・・)知っているからこそ生じる自由だと思います。そして、この「知っているからこそ生じる自由」というのは、いわゆるクラシック音楽をコミュニケーションするときの最大の醍醐味かもしれません。
そして、恥ずかしながら、初「ブラボー」言ってしまいました。初「ブラボー」。いわば「ブラボー童貞」をルセロ・テナに捧げたわけです。
で、このファイナルの盛り上がり、ファイナルだから例年これくらい盛り上がってるのかなあ、と思ってたんですが、今年は例年にないほどの盛り上がりだったそうです。Twitter なんかみると。
なお、公式ブログのレポートはこちら。
ワーストアクト?
あんまワーストとか言いたくないんですが・・・。清水和音のドビュッシー。なんか違った。ドビュッシーの《映像》を生で聴ける、ということですっごい楽しみで、その前の公演を途中で退席して聴きにいったんですが・・・、ちょっと違った。
おそらく、ワタシのなかの理想、というのがあって。《映像》の。それとはけっこうズレてる。ていうのがあったと思うんですけれども。それをちゃんと説明するとなるとけっこう分析しないといけないんで、ただ、このエントリーは気持ちがホット(笑)なうちに書く。というのが優先されてますので、まあ、あんまよくなかった、これで終わりたいと。思います。
と、いう感じで、かなーり満喫しました今年の LFJ。来年のテーマも発表されてます。
10周年(!)ということで、今までの総集編みたいな感じらしいです。ナントの方(アメリカ)が面白そうだぞ!
ベトベンの第九がファイナルとかだったらずっこけるぞ! それはそれでいいけど!
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音楽哲学論考 : ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2013「パリ、至福の時」