20 世紀の音楽思想 (4) シンボルとしての音楽: ランガーとグッドマン

音楽と言語の類似点や相違点を考えたことはありますか?

20世紀の音楽に関する考察では、音楽をシンボル体系として捉えようとする試みが繰り返し行われてきました。

本ブログの「音楽の哲学史」シリーズ、今回は、その代表的な哲学者であるスザンヌ・ランガー(Susanne Langer)とネルソン・グッドマン(Nelson Goodman)の視点を探ってみましょう。

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スザンヌ・ランガーの音楽哲学

ランガーは、音楽が感情のシンボルであると主張しました。彼女の著書『シンボルの哲学』(Philosophy in a New Key (1942)では、音楽が作曲家や演奏者、聴取者の感情と因果関係を持つという考えを否定し、音楽は感情の「刺激」でも「症状」でもなく、そのシンボルであると述べています。

「音楽が感情的な内容を持つならば、それは言語が概念的内容を持つのと同じ意味で、すなわち象徴的に持つのです。」(Langer 1942)

ランガーによれば、音楽と言語はどちらも意味を持つという点で似ていますが、その類似性はそれ以上には及びません。彼女は、論述的シンボル(discursive symbols)と現示的シンボル(presentational symbols)を区別し、前者は識別可能な要素からなる語彙を持ち、固定された意味を持つのに対し、後者はそのような離散的な意味単位を欠くと述べています。言語は前者の例であり、絵画は後者の例です。

ランガーの音楽シンボル理論

ランガーによれば、音楽シンボルは特定の種類の現示的シンボルです。音楽が「悲しい」「楽しい」「憂鬱」などの感情的な用語で説明されるのは、音楽の動的な形態と感情の形態が同型関係にあるためです。例えば、不安の音楽表現は長引く緊張と未解決の緊張によって達成されますが、これは私たちが経験する不安の形態と一致しています。音楽は感情の形態に非常に近いため、言語的なシンボルで置き換えることはできません。これがランガーの「言葉にできない」という命題の一部です。

しかし、ランガーは異なる感情が共通の動的形態を共有する可能性があることも認めています。これにより、音楽は特定の感情的な意味を持つことはなく、様々な解釈の範囲を持つ「未完成のシンボル」となります。

ネルソン・グッドマンの音楽哲学

ネルソン・グッドマンの『芸術の言語』(Languages of Art (1968)) は、ランガーやエルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer)のシンボル理論の影響を受けつつ、分析美学の発展における基礎的な作品です。グッドマンは異なる芸術形式における作品の存在論的地位を説明するために、一般的な記号論の理論を展開しました。

グッドマンは、オートグラフィック(autographic)芸術とアログラフィック(allographic)芸術を区別しました。絵画や彫刻はオートグラフィックであり、作品の製作過程の歴史(すなわち帰属)がその作品の真正性を保証します。音楽や文学はアログラフィックであり、作品の同一性は記譜法によって決定される本質的な特徴の存在に依存します。

グッドマンの記譜法理論

グッドマンは、記譜法がこの機能を果たすためには、厳格な構文的および意味的要件を満たさなければならないと考えました。彼によれば、西洋の現代音楽の記譜法はこれらの要件を満たしていますが、ダイナミクスやテンポ指示などの要素は例外であり、したがって作品の同一性には無関係です。音楽作品はその楽譜に従った演奏のクラスに他ならず、楽譜と一致する演奏のみがその作品の実例と見なされます。

音楽表現の記号論的分析

グッドマンの記号論的分析は音楽表現にも適用されます。彼の唯名論的枠組みにおいて、ある物が特性を持つのは、それが述語によって指示されるためです。物がその述語を参照するならば、それはその特性を例示します。音楽作品が感情的な用語で説明される理由については、グッドマンの理論は説明しませんが、その論理構造を説明します。

結論

ランガーとグッドマンの音楽哲学は、音楽がシンボルとしてどのように機能するかを理解するための異なる視点を提供します。ランガーは音楽が感情のシンボルであると主張し、グッドマンは音楽の同一性と表現に関する記号論的アプローチを展開しました。これらの理論は、音楽の理解とその意味の探求において重要な洞察を提供しています。

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