金澤正剛『新版 古楽のすすめ』「第十二章 即興演奏について」についてのノートです。なお、当エントリーにおける引用は、特に断りのない限り、金澤正剛『新版 古楽のすすめ』(2010年、音楽之友社)からになります(くどいよ)。古楽については、以下を参考にしてください。
「今日では、音楽の演奏にあたって、楽譜を忠実にそのまま音にすることが鉄則のように考えられていることが多い。音符や休符のひとつひとつの長さを正確に再現することが重要で、勝手に長さを変えたり、楽譜に記されていない音を付け加えたりすることはご法度、というのが常識になってしまった」(p. 241)
「今日では」「常識になってしまった」ということなので、「楽譜を忠実にそのまま音にすることが鉄則」ではない時代があった、ということでしょう。つまり、楽譜に記された記号を音に置き換えることが音楽行為の「鉄則」であったり「常識」であったりと考えるのは、一面的な考え方でしかない、ということになるでしょうか。
えー、自分に言い聞かせます。いいですか、決して楽譜を軽視してはいけませんよ(笑) あなたはまず、楽譜の忠実に、というか基礎からやりなさい(笑)
自分への言い聞かせ終わりです。
さてさて、ここから、簡単な楽譜の歴史が述べられます。ちょっとまとめてみましょう。
- 古楽の時代(バッハ以前) ・・・ あくまでも音楽演奏がまず最初にあり、それを書き残す・他人に伝えるために楽譜に書き取った(p. 242)
- 19世紀、ベートーヴェン以降 ・・・ 完全に楽譜に依存する風習が確立。作曲と演奏が次第に分業化した時代にあたる(pp. 241 – 242)
- 19世紀~現代にかけて ・・・ 最近150年~200年にかけて楽譜の位置が次第に絶対化(p. 241)
- 近年(ごく最近) ・・・ 楽譜の位置の絶対化への反動として、前衛音楽などにおいてはわざと不正確な記譜を行う例も現れるようになった(p. 241)
そんないらん心配は脇に置いておいて、「古楽の時代」の楽譜リテラシー(と言っていいかどうか分かりませんが)についての説明をもう少し読みましょう。
「面」!「倒」!(笑) すごい単語が出てきました(笑) さて、これを踏まえて現代に残されている楽譜を演奏する際の問題が述べられます。
「そのような事情を知らずに、現代の演奏家が楽譜に記されているとおりを忠実に演奏したならば、それは作曲家が意図した音楽とはほど遠いものになっている可能性が極めて高い。事実、私の知っている古楽の演奏家たちの中には、折にふれて次のような発言をする者が数多くいる。「もし誰かが楽譜どおりに演奏していたとしたら、少なくともそれは誤った演奏である、ということを確信を持って言える」。」
古楽に魅せられた方たちの音楽態度へは、頭の下がる一方です。