古楽、即興、ルール、自由

金澤正剛『新版 古楽のすすめ』の、「第十二章 即興演奏について」についてのノートです。古楽については、以下を参考にしてください。

即興演奏というと、先ず初めに思い浮かべるのが、デレク・ベイリーなのですが(笑)



えー、やめましょう。できるだけテキストに内在しましょう。

金澤正剛は、古楽と即興演奏の関係について、次のように述べます。つまり、

「特に即興演奏の問題は、古楽を演奏する者、あるいは研究する者にとって、必ず通らなければならない関門である。事実、中世からルネサンスを経て、バロックに至る時代においては、即興演奏が不可欠の要素であった〔後略〕」(金澤正剛『新版 古楽のすすめ』(2010年、音楽之友社) p. 239)

このことについては、一般的によく知られつつ、かつ誤解もされつつ、というところでしょうか。現代において「古楽を演奏する者あるいは研究する者」にとって「即興演奏の問題」は非常に重要なのですが、あくまで 当 時 の ル ー ル を熟知した上で 当 時 の 音 楽 家 た ち の 即 興 を 再 現 しなければ、古楽の即興演奏にはならない、ということでしょう。

即興を再現する。非常に矛盾に満ちた表現ですが、これを矛盾に思う方は、即興、あるいはもっと言うと自由について、少し誤解があるかもしれません。

即興演奏は、スポーツに喩えられたりしますが、個人的には言語に喩えた方が解り易い。私たちは日本語を自由に操っています(ごめん、これも怪しいですね。お前日本語下手やん、て言われたらそれまでなんですが(笑))。しかしだからといって、日本語にルールがないわけではありません。ルールがあればこそ、自由が成立するのです。これを西田幾多郎『善の研究』の表現を借りて言えば、「必然的自由」ということになりますがやめておきますとにかくそういうものなのです!


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