音楽における表現について、田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』「第三章 音楽は表現である」を引用しながら、あれこれ思い巡らしているところです。こちらも参考にしてください。
『音楽とは何か~』によると、音楽は「気分」や「雰囲気」といったいわば曖昧なものしか表現できません。そして、「気分」や「雰囲気」といっても、何故悲しいのか、嬉しいのか、といった理由や、もちろん、場所とかそういった具体的なものを描写することもできません。
音楽における表現について、田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』「第三章 音楽は表現である」を引用しながら、あれこれ思い巡らしているところです。こちらも参考にしてください。
『音楽とは何か~』によると、音楽は「気分」や「雰囲気」といったいわば曖昧なものしか表現できません。そして、「気分」や「雰囲気」といっても、何故悲しいのか、嬉しいのか、といった理由や、もちろん、場所とかそういった具体的なものを描写することもできません。
音楽における表現について、田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』「第三章 音楽は表現である」を読みながら、あれこれ思い巡らしているところです。こちらも参考にしてください。
さて、『音楽とは何か~』によると、音楽には「描写能力の限界」がある。これについては、次のように述べられます。
音楽における表現について、田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』「第三章 音楽は表現である」を読みながら、あれこれ思い巡らしているところです。こちらも参考にしてください。
『音楽とは何か~』によると、「歌詞が音楽を説明する」のであり、「音楽の描写力はやはり不確定なのであり、「それが何であるか」を示すには、言葉を必要とする」のだそうです。
音楽は表現なのだけれども、では何を表現するのか、という問題があります。
例えば、個人的にはさっと思い付くのは 感 情 とか 気 持 ち です。
ただ、音楽家のインタビューなんかを読んでみると「まず風景が思い浮かんで」「その風景を音楽にする」みたいな発言もちょいちょい見かけます。この場合は、一般的に言って、心の内面だけではなく、心に関係した心以外の世界を表現しようとしていると言えるでしょう(いや、そう言うと、感情だってあんた、心の外面と関係しているし、うんぬんという反論が出てきますが、とりあえず脇においておきます)。
「古楽」については、以下を参考にしてください。
さて、中世からルネサンス、バロックの時代にも、「民間」「庶民」の音楽は存在していましたが、現在では残っていません。この理由について、金澤正剛は次のように述べています。 続きを読む
「古楽」については、以下を参考にしてください。
金沢正剛(2010)『新版 古楽のすすめ』(音楽之友社)によると、「古楽」というのはバッハ以前のヨーロッパ音楽のことです。
そしてこの『〜 古楽のすすめ』を通して、自分なりに「古楽」について学んで曲解しているところですが(笑)、「古楽」という単語には、「バッハ以前のヨーロッパ音楽」とは別の意味もあるようです。 続きを読む
さて、『〜 古楽のすすめ』によると、「古楽」はバッハ以前の(ヨーロッパ)音楽を指す、ということです。その理由としては、いくつか挙げられているのですが、興味深いものをまとめると、