近年、AI(人工知能)による音楽生成が飛躍的な進化を遂げています。特に、ディープラーニング技術の発展により、AIは膨大な音楽データを学習し、楽曲の作成やアレンジを人間が驚くほど自然な形で行う能力を獲得しています。その結果、「AIが作曲家の仕事を奪うのではないか」という懸念が、音楽業界や社会全体で広がりつつあります。しかし、この懸念がどこまで現実的で、どのような本質的な課題を示しているのかについては、深い議論が求められています。
AI音楽生成の進化:どこまで来たのか
AIによる音楽生成の技術は、20世紀後半の単純なルールベースのアルゴリズムから、21世紀に入ると機械学習や生成モデルを活用する高度なものへと進化しました。現在では、OpenAIの「MuseNet」や「AIVA(Artificial Intelligence Virtual Artist)」などのツールが、クラシックからジャズ、ポップスまで幅広いジャンルの楽曲を生成できる能力を備えています。これらの技術は、以下のような応用が進んでいます:
- 商業音楽: 広告や映画、ゲームのBGM制作
- 教育分野: 音楽学習の補助ツール
- 個人用途: ユーザーの好みに合わせたカスタム音楽の提供
こうした進展により、AIは単なるツールを超え、「創造性」を持つ存在として捉えられることもあります。しかし、この「AIの創造性」という考え方が引き起こす議論の中には、過剰な期待や誤解も含まれています。
ターミネーター症候群:AIへの過剰な恐怖心
AI音楽生成に対する一部の反応は、「From AI to 4E」(2024)の著者マッティア・メルリーニ(Mattia Merlini)が「ターミネーター症候群」と名付けた現象によって特徴付けられます。この現象は、AI技術が人間の仕事や文化を脅かすという漠然とした恐怖心に基づいています。メルリーニは、これを「未知の暗闇に対して想像上の怪物を作り出す人間の傾向」と例えています。例えば、イタリアの新聞記事では、「AIが作曲家を置き換える」「音楽におけるAI:機会か危機か」といったセンセーショナルな見出しが踊っています。
この恐怖心は、人間の創造性とAIの生成能力を同じ土俵で比較し、「AIが人間を超える」という結論に急ぎがちな点に問題があります。AIが生成する音楽は確かに質が向上していますが、それは人間の創造性とは本質的に異なるプロセスによって生み出されるものです。この違いを正確に理解しない限り、AIが音楽文化全体に与える影響を正しく評価することはできません。
現実の課題:音楽観の再考
AI音楽生成に関連する真の課題は、技術そのものではなく、私たちが音楽をどのように理解し、評価するかという「音楽観」の問題です。特に、西洋文化に根付いた「音楽=抽象的かつ知的な活動」という固定観念が、AIの音楽生成を脅威と感じさせる一因となっています。この固定観念を克服し、音楽をより身体的で社会的な文脈から捉え直すことが求められています。
メルリーニは、AIがもたらす課題を「人間の創造性の特異性を再発見する好機」と捉えるべきだと主張しています。具体的には、音楽が持つ身体性や文化的背景を深く理解することで、AIの生成物と人間の音楽的営みの本質的な違いを見極めることが可能になります。
では、この「音楽観の再考」を促す要因として、認知主義、二元論、ロマン主義という3つの偏見について掘り下げていきましょう。
従来の音楽観を縛る3つの偏見
AI音楽生成が進化する中で、私たちの音楽に対する従来の見方が根本的な再考を迫られています。この課題を深掘りするためには、音楽観を縛る3つの主要な偏見、すなわち「認知主義」「二元論」「ロマン主義」を理解する必要があります。これらの偏見は、音楽を知的で抽象的な活動とみなす固定観念を生み出し、AIと人間の音楽創造の違いを見誤る原因となっています。
認知主義: 音楽はコンピュータのようなプロセスか?
認知主義は、心をコンピュータに例える理論として、20世紀後半の心理学や哲学において大きな影響を与えました。この枠組みでは、思考や創造性といった人間の精神活動が、計算的なアルゴリズムに基づいていると仮定されます。AI音楽生成においても、この考え方は「機械は人間と同じ方法で創造できる」という主張を支える土台となっています。
しかし、このモデルをそのまま創造性に適用することには問題があります。音楽の創造を純粋に計算的なプロセスとみなすことで、以下のような誤解が生じます:
- 創造性の抽象化
認知主義の枠組みでは、音楽創作が知的で抽象的な活動とみなされ、感覚的・身体的な要素が軽視されがちです。例えば、楽器演奏の身体的な動作や感覚的なフィードバックが持つ重要性は、この枠組みでは説明がつきません。 - 身体性の軽視
認知主義は心と身体を分離して捉えるため、音楽制作がどれほど身体的で感覚的な活動であるかを無視します。音楽を「演奏し、感じる」体験から切り離し、抽象的な記号操作に還元してしまうのです。
メルリーニは、認知主義のこうした限界を乗り越えるためには、音楽を身体性を伴う実践とみなす視点が不可欠であると主張しています。
二元論: 身体と心を切り離す罠
二元論は、心と身体を別々のものとして扱う哲学的伝統に由来します。この考え方は、古代ギリシャのプラトンや近代のデカルトに端を発し、西洋文化に深く根付いています。音楽においても、二元論は「音楽は純粋に知的な活動であり、身体的要素は重要ではない」という見方を助長してきました。
- デカルト的二元論の影響
デカルトは、心(res cogitans)と物質(res extensa)を完全に分離しました。この考え方に基づくと、音楽は精神的な知的活動であり、身体的な関与は価値が低いものとみなされます。結果として、楽譜や抽象的な音楽理論が重視され、演奏やリスニングといった身体的体験が軽視されるようになりました。 - 音楽の身体性の否定
しかし、音楽は本来、身体的な体験を通じて作られ、受け取られるものです。演奏中の身体の動き、リズムに合わせて踊る感覚、音を通じて生じる感情的な反応は、音楽を完全に理解するために欠かせません。
メルリーニは、音楽を純粋な知的活動として捉える二元論的な視点を克服し、音楽がいかに深く身体に根ざしているかを再評価すべきだと提案しています。
2.3 ロマン主義:音楽の身体性を忘れた芸術観
ロマン主義は、音楽を「高次元の芸術」として神聖視する一方で、音楽の身体性や社会的文脈を軽視する傾向を助長しました。この偏見は、以下の2つの概念によって支えられています:
- 天才のフェティシズム
ロマン主義において、作曲家は「天才」として崇拝され、その創作は超自然的な力によるものとされました。この見方は、音楽を個人的で神秘的な活動とみなし、社会的な影響や身体的な要素を切り離してしまいます。 - 楽譜への偏重
音楽を「紙上の芸術」として捉える考え方は、ロマン主義的な視点の一部です。結果として、音楽がダンスや即興演奏といった身体的な実践から切り離され、抽象的で非物質的なものとして理解されるようになりました。
これに対し、メルリーニは、音楽を身体的で感覚的な営みとみなすことの重要性を強調します。楽譜や作曲家だけでなく、演奏者や聴衆との相互作用が、音楽の本質を形成しているのです。
3つの偏見を超えて
これらの偏見は、西洋文化における音楽観を形作ってきた一方で、音楽の本質的な側面を見失わせる原因ともなりました。AI音楽生成の進化は、こうした固定観念を再評価する機会を提供します。認知主義、二元論、ロマン主義を乗り越え、音楽を身体的かつ社会的な実践として捉える視点を取り戻すことが、これからの音楽学の重要な課題となるでしょう。
つづいて、これらの偏見を克服するための具体的なアプローチとして、4E認知論を基にした音楽の再定義について掘り下げましょう。
4E認知論による音楽の再定義
AI音楽生成の進展に直面したとき、音楽の本質を問い直すための鍵となるのが「4E認知論」です。この理論は、心を「身体性(Embodied)」「延長性(Extended)」「埋め込み性(Embedded)」「行為性(Enacted)」の4つの視点から捉え、従来の認知主義的なアプローチを乗り越える新しい見方を提供します。音楽においても、4E認知論は創造性や音楽体験の理解を深める手がかりを与えてくれます。
身体性(Embodied):音楽は身体で感じるもの
音楽を身体的な実践として捉える視点は、デカルト的な心と身体の分離を否定します。メルリーニは、音楽が身体に根ざした営みであることを強調しています。具体的には以下のような点が挙げられます:
- 身体と楽器の一体化
音楽は、演奏者の身体的な動作を通じて生み出されます。例えば、ピアニストが鍵盤を叩く感覚や、歌手が声帯を使って音を出すプロセスは、単なる精神的な活動ではなく、身体全体の関与によるものです。 - 音楽の感覚的な体験
聴覚だけでなく、振動やリズムが身体全体で感じ取られることも重要です。踊るときや、ライブ演奏を肌で感じるとき、音楽は身体的な経験そのものになります。
さらに、現代の神経科学の研究では、ミラーニューロンが音楽を身体的に「シミュレート」する働きを持つことが示されています。これにより、音楽が感情や身体感覚を通じて私たちに深く影響を与える仕組みが明らかにされています。
3.2 延長性(Extended): 楽器がもたらす創造の拡張
4E認知論の「延長性」は、楽器やテクノロジーが音楽的創造性をどのように拡張するかを説明します。メルリーニは、楽器を「身体の延長」として捉える視点を提示しています。
- 楽器との相互作用
ギターやピアノのような楽器は、単なるツールではなく、音楽を形作る重要な役割を担います。楽器が持つ物理的な特性や制約は、作曲や演奏のプロセスに影響を与え、独自の音楽的アイデアを生み出します。 - 技術と創造性
現代では、AIやデジタル音楽制作ツールも楽器と同様に音楽的創造性を拡張しています。例えば、AIを活用することで新しい音楽パターンを生成したり、人間が思いつかないような音楽的可能性を探ることが可能です。
楽器やツールが私たちの創造性に与える影響を理解することは、AI生成音楽を単なる脅威ではなく、新たな可能性の扉と捉えることにつながります。
埋め込み性(Embedded):音楽の社会文化的文脈
音楽は、単独の個人によって生み出されるものではなく、常に社会的・文化的な文脈に埋め込まれています。4E認知論の「埋め込み性」は、この社会的文脈が音楽の本質を形作る重要な要素であることを示唆します。
- 社会的ネットワークと音楽
作曲家、演奏者、聴衆といったさまざまな主体が協力することで、音楽という文化的成果が生まれます。例えば、ある作曲家の音楽は、その時代の流行や他の作曲家からの影響を受けており、個人の創造物としてだけでなく、社会的な産物として存在しています。 - 音楽の価値を形成する要素
音楽の価値は、音そのものだけではなく、その背景にある歴史や文化、人々との関わりによって形成されます。この視点は、AI生成音楽が文化的にどのような意味を持つのかを評価する際に重要です。
行為性(Enacted):音楽とアクションの関係
4E認知論の「行為性」は、音楽が単なる結果として存在するのではなく、行為の中で生まれ、経験されるものであることを示します。メルリーニは、音楽を動的で実践的な営みとして捉える重要性を指摘しています。
- 即興とインタラクション
演奏や即興は、音楽が生きた体験として成立するプロセスそのものです。例えば、ジャズの即興演奏では、演奏者同士の相互作用が音楽そのものを形作ります。 - 音楽のプロセスとしての価値
AIが生成した音楽には、こうした「行為性」の要素が欠けている場合が多いです。一方で、人間の音楽創造には、演奏や即興を通じた実践的な要素が不可欠です。この点で、人間の音楽はAIとは異なる特異性を持っています。
4E認知論が示す音楽の未来
4E認知論は、音楽を身体的かつ社会的で、行為に根ざした動的な営みとして再定義する視点を提供します。この理論を通じて、AI音楽生成の限界と可能性を明確に理解し、人間の創造性の本質を再発見することが可能になります。
つづいて、AIと人間の音楽の違いに焦点を当て、AI時代における音楽創造の価値についてさらに深掘りしましょう。
AIと人間音楽の違いを理解する
AI音楽生成が急速に進化する中で、多くの人が「AIは人間の音楽家に取って代わるのではないか?」という疑問を抱きます。しかし、AIが生み出す音楽と人間が創り出す音楽は本質的に異なります。メルリーニは、AI音楽の進化を過度に恐れるのではなく、その違いを理解することで、人間の音楽創造の価値を再確認する好機だと述べています。
AI音楽生成の特徴
AI音楽生成は、膨大なデータセットを学習し、統計的なパターンに基づいて楽曲を生成します。その結果、AI音楽には以下のような特徴が見られます:
- 統計的再現性
AIは学習データの中から共通のパターンを抽出し、それを再現する能力に優れています。例えば、特定の作曲家のスタイルやジャンルの特徴をAIが模倣し、その「らしさ」を保った新しい楽曲を生成することが可能です。 - 効率性と無限の生成
AIは短時間で無限に楽曲を生成できます。人間の作曲家が数日、数週間を費やすプロセスをAIは瞬時に完了することができます。これは商業音楽やBGM制作において特に有用です。 - 身体性・感情の欠如
AIは膨大なデータを解析し楽曲を生成しますが、そのプロセスには「身体性」や「感情」が存在しません。AIは音楽を「経験」することなく、抽象的な計算によって楽曲を生み出します。
これらの特徴は、AI音楽が高度に精巧で技術的に優れている一方で、人間が持つ音楽の「意味」や「身体的感覚」に欠ける理由を示しています。
人間の音楽創造: AIにはない特異性
人間の音楽創造は単なるデータやパターンの組み合わせではありません。4E認知論の観点から見ると、人間の音楽は以下の要素によって支えられています:
- 身体的体験
音楽は演奏や歌唱、リズムに合わせたダンスを通じて身体と密接に結びついています。楽器を弾く指の感触、息を吹き込む感覚、音の振動を体で感じる経験は、人間の音楽創造の根幹です。 - 感情と経験
人間は音楽を通じて喜びや悲しみ、興奮といった感情を表現します。さらに、人生経験や文化的背景が音楽に反映されることで、音楽が個人や集団にとって特別な意味を持つものとなります。 - 社会的・文化的文脈
音楽は常に社会や文化の中で生まれます。作曲家は過去の音楽遺産や周囲の影響を受けつつ、新たな音楽を生み出します。また、聴衆や共演者との相互作用が、音楽体験をさらに豊かにします。
例えば、ジャズの即興演奏は演奏者同士のリアルタイムなコミュニケーションと相互反応によって成り立っています。AIには、このような「身体的な対話」や「社会的な文脈の中での創造」は実現できません。
AI音楽の限界:文化的・人間的価値の欠如
AI音楽が技術的にどれほど進化しても、その音楽は人間が感じる「意味」や「価値」を欠くことが多いのが現状です。AI音楽生成の限界は以下の点にあります:
- 音楽が持つ文脈の欠如
AIは統計的なパターンを再現するだけであり、音楽が持つ文化的・歴史的文脈を理解しません。例えば、ベートーヴェンの交響曲が時代背景や作曲家の人生経験を反映しているのに対し、AIは単に音楽スタイルを模倣するだけです。 - オリジナリティの欠如
AI音楽は過去のデータに依存して生成されるため、真に新しい音楽的アイデアや斬新な表現を生み出すことは難しいとされています。人間の作曲家が生み出す「予想外の創造性」や「意図的な逸脱」は、AIには再現できません。 - 聴衆との関係
音楽は演奏者と聴衆の間の対話を通じて意味が生まれるものです。AIが作曲した音楽には、そのような「共鳴する関係性」が欠如していることが多いのです。
AI音楽時代における人間の役割
AI音楽が進化する一方で、人間の音楽創造はこれまで以上にその価値を問われています。AIと共存する未来において、人間は以下のような役割を果たすべきだとメルリーニは提唱します:
- AIを「ツール」として活用する
AIは創作のプロセスを補助する強力なツールです。例えば、作曲家がアイデアを膨らませる際にAIを活用し、人間が最終的な表現や意味づけを行うことで、音楽の価値を高めることができます。 - 身体性や社会性を取り戻す
人間の音楽創造が持つ「身体性」「感情」「社会的文脈」を再評価し、AI音楽との差別化を図ることが重要です。音楽は単なる技術的な生成物ではなく、人間同士のつながりや感情の共有を生み出すものです。 - 音楽文化の未来を問い直す
AIの登場を脅威ではなく、音楽文化のあり方を再考する機会と捉え、人間らしい音楽の価値を再発見する姿勢が求められます。
AI音楽と人間音楽の共存
AIが生成する音楽は技術的に優れている一方で、人間の音楽創造が持つ「身体性」「感情」「社会的文脈」を欠いています。この違いを理解し、AIを創造の「補助」として活用することで、人間の音楽文化はより豊かになる可能性を秘めています。
つづいて、AI時代における音楽の未来と、音楽学が果たすべき役割について考察していきましょう。
AI時代の音楽に求められる新たな視点
AIによる音楽生成が進化する中で、従来の音楽観や創造性に対する理解が問われる時代が到来しています。メルリーニは、AIを単なる脅威として捉えるのではなく、人間の音楽創造を再評価し、音楽学に「反省的転回」をもたらす好機だと指摘します。この新たな視点を持つことで、AI時代における人間音楽の価値をより深く理解し、未来の音楽文化を築いていくことが可能になります。
音楽学における「反省的転回」
AI音楽生成がもたらす挑戦に対し、音楽学は新たな「反省的転回(Reflective Turn)」を迎えつつあります。これは、AIが問いかける人間の創造性の本質を考察することで、私たち自身の音楽理解を再構築する試みです。
- AIの創造力を考察する
AIが音楽を生成するプロセスを詳細に分析することで、人間の音楽創造と比較し、何が「人間らしい音楽」を定義するのかを問い直すことが可能になります。AIの音楽生成は「データの再組織化」であるのに対し、人間の音楽は感情や身体性、社会的関係が複雑に絡み合った創造的行為です。 - 音楽を「抽象」から「身体的実践」へと再定義する
AIによる抽象的な音楽生成が進む中で、音楽の身体性や社会性を取り戻すことが重要です。演奏やリスニングの過程における身体的な動きや感覚、共同体とのつながりを強調することで、AI音楽との差別化が図れます。
人間の音楽創造の価値を再評価する
AIの時代において人間が音楽を創造する意義とは何でしょうか?メルリーニは、AI時代にこそ人間らしい音楽創造の価値が一層際立つと主張します。その視点として、以下の要素が挙げられます:
- 感情と経験の反映
人間の音楽は、作曲者や演奏者の人生経験、感情、文化的背景が反映される点に大きな価値があります。例えば、ベートーヴェンの交響曲には、彼の聴覚喪失や時代背景が深く刻まれており、単なる音の集合を超えた意味を持っています。 - 即興と対話
ジャズや伝統音楽に見られる即興演奏は、人間同士のリアルタイムな対話によって成立します。AIにはこの「対話的な創造」の要素が欠けており、人間音楽が持つ特異性が明確になります。 - 共同体との結びつき
音楽は個人の表現であると同時に、共同体とのつながりを生み出すものです。祭りや宗教儀礼、ライブ演奏のように、音楽は社会的文脈の中で価値を持ちます。AIが生み出す音楽には、こうした「人と人を結びつける力」が欠如しています。
AI音楽を「補助」として活用する
AIは音楽創造における「脅威」ではなく「補助」として捉えるべきです。AI技術を活用することで、人間の創造性を拡張し、より豊かな音楽文化を築くことが可能になります。
- AIと人間の協働
AIは膨大なデータを基に新しい音楽パターンを生成し、人間はそのアイデアをさらに発展させる役割を担います。例えば、作曲者がAIを用いてスケッチを作成し、その後の細部や感情表現を人間が加えることで、より洗練された音楽が生まれます。 - 創造の効率化
商業音楽や映画・ゲーム音楽制作の現場では、AIを活用することで効率的に音楽を生成し、時間や労力を節約することが可能です。その中で、人間が持つ「意味付け」や「表現の深み」を付加することで、価値ある音楽が完成します。 - 新たな音楽表現の探求
AI技術を用いることで、従来の音楽理論や形式を超えた新しい表現が可能になります。例えば、AIが生成する予測不可能な音楽パターンを取り入れることで、作曲家がこれまでにない音楽的アイデアを発見するきっかけとなるでしょう。
資本主義的な音楽文化への疑問
AIが音楽制作の効率を飛躍的に向上させる一方で、メルリーニは「資本主義的な音楽文化」への批判的視点も提示しています。音楽が単なる商品として消費され、効率や量が重視される現代において、AIの登場は次の問いを投げかけます:
- 音楽の「価値」とは何か?
AIが量産する音楽に対し、人間の音楽創造はその「意味」や「身体性」「共同体との関わり」に価値を見出します。効率や経済的利益に偏りすぎる音楽文化を見直し、音楽が持つ本質的な価値に立ち返ることが求められます。 - 人間の音楽は残るのか?
写真技術の発展が絵画を「終わらせた」のではなく、新たな芸術運動(印象派や抽象画など)を生み出したように、AI音楽の登場も人間の音楽文化に新しい可能性をもたらすと考えるべきです。
まとめ:AI時代における音楽の未来
AI音楽の進化は、私たちに「人間らしい音楽とは何か?」という根源的な問いを投げかけています。AI技術を脅威ではなく創造の「補助」として活用し、音楽の身体性や社会的文脈、感情表現を再評価することで、人間の音楽創造は新たな価値を持つでしょう。
つづいて、こうした新たな視点を踏まえ、音楽学がAI時代に果たすべき役割と未来への展望について考察していきましょう。
結論:AI音楽時代における音楽学の挑戦
AI音楽生成の発展は、音楽の創造や理解における新たな地平を切り開いています。しかしその一方で、私たちは「人間らしい音楽とは何か?」という根源的な問いに直面しています。マッティア・メルリーニが提唱する「反省的転回」は、AI技術がもたらす課題と向き合い、人間の音楽の特異性を再認識する契機を与えています。音楽学はこの状況を前向きに捉え、AI音楽時代において果たすべき役割と新たな挑戦を受け入れるべきです。
6.1 AI音楽は終わりではなく始まり
歴史を振り返れば、新技術の登場は常に「終わり」の予感とともに語られてきました。写真の発明が絵画の終焉を予言され、映画やテレビがラジオを駆逐すると言われた時代がありました。しかし、技術革新は芸術を終わらせるのではなく、新たな表現の可能性を切り開いてきました。
AI音楽生成も同様です。AIが生み出す音楽は、私たちに次のような問いを突きつけています:
- 「創造」とは何か?
- 音楽の価値はどこにあるのか?
- 人間とAIはどのように共存できるのか?
これらの問いに向き合うことで、AI時代の音楽は新たな創造の形を獲得し、従来の音楽観を刷新する可能性を持っています。
6.2 人間の音楽創造を再評価する音楽学の役割
音楽学はAIの進化に対して消極的に反応するのではなく、積極的に新しい視点を提供し、人間の音楽創造を再評価する役割を担うべきです。具体的には、以下の課題が重要になります:
- 音楽の身体性と社会性の強調
AIが持たない「身体性」「感情」「社会的文脈」を人間音楽の核心として再評価し、音楽が単なるデータの組み合わせではなく、実践的で経験的な活動であることを示す必要があります。 - 技術と人間の協働の探求
音楽学はAI技術と人間の創造性がどのように協働し、新たな音楽的価値を生み出せるかを探求すべきです。AIは創作過程の補助ツールとして機能し、人間はその過程に意味や深みを与える役割を担います。 - 音楽文化の未来への提言
音楽が単なる商業的な商品ではなく、共同体や個人のアイデンティティを表現する文化的な営みであることを再確認し、AI時代における音楽文化の在り方を考える視点が必要です。
6.3 音楽文化の豊かさを守り育てる
AI音楽の時代において、人間の音楽文化はますますその「豊かさ」と「多様性」が重要になります。AIが生成する音楽は、統計的な学習に基づいたパターンの再現に過ぎないため、予測不可能な創造性や文化的背景の表現には限界があります。人間の音楽創造が持つ以下の要素こそが、音楽文化の豊かさを支えるのです:
- 個人の経験や感情の反映
- 即興性や偶発性の価値
- 社会的・歴史的文脈との結びつき
AIによる音楽生成の進化を受け入れつつも、こうした人間ならではの音楽創造の価値を守り、育てていくことが求められます。
6.4 AIと人間の音楽の未来:共存への道
AIと人間の音楽創造は競合するものではなく、補完し合う関係にあります。AIはその計算能力を活かして無限の音楽を生成し、人間はその音楽に意味や感情を与えることで、真に豊かな音楽体験を創り出すことができます。
今後の音楽文化において、人間は以下の役割を果たすことが期待されます:
- AI生成音楽の「意味付け」:
AIが作る音楽の中に「意味」や「文脈」を付与することで、人間ならではの価値を生み出します。 - 新しい音楽表現の探求:
AIの生成する音楽を素材として活用し、人間の創造性によって新しい表現を開拓します。 - 音楽文化の未来の担い手として:
人間が主体的に音楽文化を守り、次世代へと継承していく役割を果たします。
反省的転回から新たな音楽文化へ
AI音楽時代において、人間の音楽創造は新しい挑戦に直面しています。しかし、その挑戦は、人間の音楽文化の本質を問い直し、再評価する好機でもあります。マッティア・メルリーニが提唱する「反省的転回」は、AIと人間の音楽を単に比較するのではなく、音楽が持つ身体性、社会性、文化的文脈の重要性を再認識するための道筋を示しています。
AIは音楽制作の効率や可能性を広げる一方で、人間が生み出す音楽は依然としてその価値を失うことはありません。むしろ、人間の創造性や感情、即興性が持つ力は、AIの進化によってさらに際立つでしょう。音楽学がこの新しい時代に向き合い、人間の音楽の意義を再定義することで、私たちは豊かな音楽文化の未来を築くことができるのです。
AI時代は音楽の終わりではなく、新たな始まり。
技術と共存しながら、人間らしい音楽創造の価値を守り、さらに高めていくこと。それこそが、これからの音楽学が果たすべき最大の使命と言えるでしょう。