音楽を聴いたとき、私たちは単なる音の連続ではなく、何かしらの「意味」を感じ取ります。その「意味」とはどのように生まれるのでしょうか?スイスの指揮者であり音楽哲学者でもあったエルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet)は、この問いに深く取り組みました。
J. Rimas ら「Ernest Ansermet on Music and Its Performance」(2024)【Amazon】によれば、アンセルメは、音楽の本質を解明するために、演奏者や聴衆の意識に焦点を当て、その中で音楽が「道筋」(path)として感じられる過程を重要視しました。本記事では、この「Ernest Ansermet on Music and Its Performance」をもとにアンセルメの音楽思想を詳しく紹介します。
メロディの本質:音楽は「道筋」として体験される
アンセルメは、メロディを単なる音の配置や時間的な変化ではなく、「道筋」として捉えました。この「道筋」は、音が一連の間隔(インターバル)を通じて移動することで形成されますが、それ自体には美しさや意味はないと主張します。重要なのは、聴き手がこの音の移動を「自身の体験」として内面化することです。
例えば、音楽の旋律が一つの物語を描くかのように聞こえるのは、その音が聴き手の内面で「進むべき道」として感じられるからです。このような体験により、メロディは単なる物理的現象を超えて「意味」を持つとされています。
演奏者の役割: 楽譜を超える解釈
演奏者について、アンセルメは「楽譜は単なる輪郭に過ぎない」と述べています。演奏者は楽譜を忠実に再現するだけでなく、それを超えた解釈を加えることで音楽の本質を明らかにします。
ただし、この解釈は楽譜の枠を逸脱することを意味しません。むしろ、楽譜に込められた緊張感や動きの流れを深く理解し、それを再構築する必要があるとされます。こうした演奏者の行為が、音楽作品の「意味」を聴衆に伝える架け橋となるのです。
音楽と意識:意味はどこから生まれるのか?
アンセルメによれば、音楽の「意味」は、聴き手の意識と音の世界との間で生じる関係に依存しています。この意味は、単なる音の並びや和音の構造には存在せず、それを聴く人の意識が音の順序や同時性と結びつくことで初めて生まれます。
例えば、ある楽曲が特定の感情を引き起こすのは、その音楽が聴き手の内面に特別な時間や空間を生み出し、その体験を通じて意味が形成されるからです。アンセルメは、このプロセスを「音楽意識」と呼び、それが音楽の核心であると考えました。
技術と音楽:道具ではなく「意味」を目指して
最後に、アンセルメは音楽の技術的側面に対する警鐘を鳴らしています。彼は、楽器の技術的習得が目的化されることを「フェティシズム」と呼び、それが音楽の本質を損なう危険性があると指摘しました。楽器演奏の技術は、あくまで音楽作品の意味を明らかにする手段であるべきだというのが彼の主張です。
技術そのものを目的とするのではなく、音楽が持つ意味を聴き手に伝えることが、演奏者や作曲家の使命であるとされています。
おわりに
エルネスト・アンセルメの音楽思想は、音楽が単なる物理的現象ではなく、人間の意識を介して初めて「意味」を持つことを示唆しています。「Ernest Ansermet on Music and Its Performance」を通じて、音楽がいかにして体験され、解釈されるべきかについて深い洞察が得られます。
音楽を聴くとき、あるいは演奏する際に、アンセルメの考え方を取り入れることで、新たな視点を得られるかもしれません。音楽の「意味」とは、私たち自身の意識の中にこそあるのです。