金澤正剛『新版 古楽のすすめ』のノートです。「古楽」については、以下を参考にしてください。
さて今回は、「第十一章 忘れ去られた音楽について」のノートです。金澤正剛はこの章で先ず、音楽史の盲点とも言える現状を指摘しています。
「音楽の歴史も中世に入るとかなりはっきりと具体的なことがわかってくる。しかしそれも初期の頃は、グレゴリオ聖歌の名で親しまれているカトリックの典礼歌のことばかりというのが現状である
それだからといって、当時の人はグレゴリオ聖歌ばかりを歌っていたのだ、音楽の世界においても宗教的な時代だったのだ、などと思い込んでしまうのは、とんでもない見当違いであることは言うまでもない」(金澤正剛『新版 古楽のすすめ』(2010年、音楽之友社) p.225 )
「言うまでもない」と記されていますが、言われないとなかなか気付かない点だと思います。
「歴史」である以上、「記されたもの」を証拠にして研究するしかありません。しかし、「記されたもの」から こ ぼ れ る 歴史というものが存在していた、ということにも注視しておかなければいけないでしょう。
よく小・中学生の頃、「法隆寺を建てたのは?」「聖徳太子」「ぶっぶー。大工さん!」とかいう(笑) 冗談を言い合っていましたが、「大工さん」がいなければ、「記されたもの」も成立しなかった、ということを忘れてはいけない。
音楽史も、これと似たように捉えなければならないのでしょう。