西洋音楽史、前古典派の2回目です。今回のエントリーからは、具体的に前古典派と称される音楽について取り上げます。
目次
ナポリ楽派
前古典派と称される音楽について、先ずは16世紀中頃のナポリを取り上げます。
16世紀の中頃に設立された4つの音楽学校と宮廷劇場、はサン・バルトロメオ San Bartolome とサン・カルロ San Carlo という2つの劇場で上演されたオペラが、当時のナポリの音楽の特徴を表していると言われています。
この時期、前述の4つの音楽学校は、ナポリや他の都市のオペラ劇場で活躍する音楽家をたくさん輩出したそうです。そして彼らが、ナポリ楽派 Scuola musicale napoletana と呼ばれています。
代表的な音楽家としては、早い時期には、
- スカルラッティ Alessandro Scarlatti
- ドゥランテ Francesco Durante
- ポルポラ Nicola Antonio Porpora
- フェオ Francesco Feo
が挙げられます。
また1720年以降の代表的な音楽家としては、
- ヴィンチ Leonardo Vinci
- レオ Leonardo Leo
- ペルゴレーシ Giovanni Battista Pergolesi
- ヨメッリ Niccolò Jommelli
- ハッセ Johann Adolph Hasse(※ドイツ人)
らが挙げられます。
インテルメッゾ
1724年、サン・バルトロメオ劇場で、オペラの台本作家として有名なメタスタージオ Pietro Metastasio の最初の劇作品である《見捨てられたディドーネ》 La Didone abbandonata が上演されました。
この後、メタスタージオの作品は多くの作曲家によって作曲され、広くヨーロッパで上演されることになったそうです。それに伴い、ナポリ楽派のオペラもヨーロッパ中で演奏されるようになりました。
《見捨てられたディドーネ》は、3幕のオペラ・セリア Opera seria が基本になっています。
このため、幕間が2回あるのですが、この2回の幕間の間にインテルメッゾ intermezzo と称される幕間(喜)劇が上演されます。結果的に、《見捨てられたディドーネ》は、インテルメッゾの成立を促しました。
インテルメッゾのなかでも人気を集めたのは、1733年に初演された
- ペルゴレーシ Giovanni Battista Pergolesi《奥さま女中》 La Serva Padrona
でした。
《奥さま女中》は、サン・バルトロメオ劇場で上演された《尊大な囚われ人》の幕間劇として上演されました。《奥さま女中》は非常に人気を集め、ヨーロッパでのオペラ・ブッファの流行の発端になったと言われています。
オペラの中心地、ナポリ
18世紀後半からは、ナポリ以外での活躍が目立ち始めます。
- ヨメッリ(ウィーン、シュトゥットガルト)
- トラエッタ Tommaso Michele Francesco Saverio Traetta(パルマ)
- マーヨ Giuseppe de Majo(マンハイム)
らです。
ナポリでは、
- ピッチンニ Niccolò Vito Piccinni
- パイジエッロ Giovanni Paisiello
- チマローザ Domenico Cimarosa
当時のナポリは、フランス革命の煽りを受け、政治・社会的に不安定でしたが、オペラの中心地として存続しました。
そして、19世紀以降、
- ロッシーニ Gioachino Antonio Rossini
- ドニゼッティ Gaetano Donizetti
らの活躍の場となりました。
参考文献
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』