西洋音楽史、20世紀前半の7回目です。前回はコチラ。
今回は20 世紀初頭のロシアの音楽についてとりあげます。20世紀初頭のロシアは、芸術の新しい思潮を先導していました。
例えばロシア・バレエ団 Ballets Russes の斬新な活動や、1920年代に起こったロシア未来派、ロシア・アヴァンギャルド Русский авангард などの急進的な芸術です。
1.ロシア・アヴァンギャルド
ロシア・アヴァンギャルドは、1910年代から30年代まで続いた革新的な芸術活動です。演出家・俳優であるディアギレフ Серге́й Па́влович Дя́гилев の創設したロシア・バレエ団も、その一端を担っていました。また、文学運動としてフォルマリズム Русский формализм が隆盛していました。
音楽でも、微分音(半音の半音・・・というふうに、1オクターブを12音以上に分ける手法)を使用した作曲や、ダダイズム Dadaism 的な劇音楽が作曲されるなど、活発な活動がありました。代表的な作曲家としては、
- ロスラヴェツ Никола́й Андре́евич Ро́славец
- ルリエ Артур Сергеевич ЛУРЬЕ
- ヴィシネグラドスキー Ива́н Алекса́ндрович Вышнегра́дский
が挙げられます。
なお、こうしたロシア・アヴァンギャルドは、政治と戦争によって根絶され、全貌が明らかになりつつあったのは1980年代からです。
1912年のロシア未来派論集に掲載された宣言に署名した詩人のマヤコフスキー Влади́мир Влади́мирович Маяко́вский 、1913年の未来派オペラ《太陽の征服》Победа над солнцем で美術・衣装を担当したマレーヴィチ Казимир Северинович Малевич 、音楽を書いたマチューシン Михаил Васильевич Матюшин らの前衛的な作品が、1980年代以降、再発見され、ロシアの内外で大きく取り上げられるようになりました。
2.社会主義リアリズム
ロシア・アヴァンギャルドが衰退する原因となった「政治」は、1917年の10月革命から始まります。この10月革命以後、徐々に抑圧が始まります。
1930年代には、スターリン体制の下、社会主義リアリズムの音楽を創作するよう義務づけられました。しかし、社会主義リアリズムに適った芸術とは何か? という問題が、具体的にどのような基準で判断されたかは定かでありませんでした。西洋的な雰囲気があると判断された芸術はすべて排除するといった意味での言わばスローガンで、音楽の実態とは相違がありました。
3.ショスタコーヴィチ
この社会主義リアリズムによって抑圧された音楽家としては、ショスタコーヴィチ Дмитрий Дмитриевич Шостакович が挙げられるでしょう。
彼の歌劇《ムツェンスク郡のマクベス夫人》Леди Макбет Мценского уезда は、ソヴィエト連邦共産党から痛烈な批判を受け、約30年間上演が禁止されました。
また、ショスタコーヴィチは、ソヴィエト連邦共産党の機関誌『プラウダ』Правда から、人民のために書かれたのではなく、社会主義リアリズムに反し、西欧ブルジョアジーの芸術を受け入れたもの(これを「形式主義 Formalism 的」と呼んでいました)、と批判を受けます。この批判以降ショスタコーヴィチは、表面的には体制に従いつつ、しかし実は体制批判を込めているという、複雑な創作に取り組むようになりました。
4.プロコフィエフ
またプロコフィエフ Сергей Сергеевич Прокофьев も、初期はモダニズムからの影響を受けていました。しかしアメリカから帰国後、ショスタコーヴィチと同じように、穏健な路線に変更せざるをえなくなりました。
次回は 20 世紀前半における新古典主義について取り上げます。
【参考文献】
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』