東日本大震災について、2年目に思うこと

年月の流れと言うのは恐ろしいもので、東日本大震災から2年経った今、私はこの出来事を日常の中えふと想い出すことのどんどんすくなくなってきています。カレンダーの「11日」という日付を見ても、「ああ、○ヶ月目だな」などと、思い起こさなくなってきているのです。このこと自体は、悪いことではないと考えています。「私の日常が、いつのまに平穏を取り戻したのだ」。そう考えるようにしています(本当に? こういうのを「風化」というのではないのか?)。

3月11日を迎えるにあたって、メディアでは、「忘れてはならない」という言葉をよく目にするようになった気がします。この、「忘れてはならない」という発言自体が、しかし残念ながら、わたしたちが震災を「忘れかけている」ことの証左です。情けないことに私自身、「何を忘れてはならないのか」に対して、2年経った今、明確に回答できなくなってきています。本日 soundcloud で公開した楽曲「東日本大震災のために」は、こんなことを考えながら制作しました。

さて、このブログは音楽がテーマですので,「東日本大震災と音楽」について、昨年に引き続き、改めて思いを巡らせてみます。

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1.震災に対して音楽ができることとは何か

震災という出来事に対して、音楽に限らず、芸術一般はあまりに無力かもしれません。地震が起き、津波が発生し、家を失い、ライフラインが寸断された状況で、先ず何よりも必要なのは衣食住です。「百万人の飢えた子供にとって、いったい文学は何の意味があるか」(サルトル)。語り尽くされた問いは、震災が起こる度に繰り返されるでしょう。

音楽を聴いていても飢えはしのげません。寒さや暑さをやわらげることはできません。音楽家の行うチャリティーライブなどの慈善活動に対しては、その慈善活動をするための費用をそのまま寄付して食料に換えればいいじゃないか、という疑念がつきまといます。

震災直後、音楽をふくむ芸術になす術はありません。何もできることはありません。

本当に? 本当に音楽は、芸術は、震災直後に何もできないのでしょうか。

もっと素朴に、私たちが普段生きている場面をそのまま思い起こせば、決して音楽は、芸術は、非常時に何もできないないわけではない、と、簡単に気付くはずです。

私たちは何か或る物事に対して働きかける際、決して或る物事それだけをめがけて働きかけているわけではありません。どういうことでしょうか。食べる、服を着る、寝る、働く、勉強する、希望が湧き喜ぶ、あるいは、絶望し悲しむ、などなど。こうした外面的・内面的活動ひとつひとつは、それ自体が単体で成立しているわけではなく、それぞれが(この言葉は使いたくないのですが、)有機的に関連することで成立しています。この関連に数値的な「切れ目」はありません。私たちの働きかけは、こうした「関連」の(どこまでも切れることのない)総体です。

とすれば。震災などの非常時の行動のひとつひとつに、音楽は影響を与えているのです。津波に流され、もがき苦しみ、なんとか救助を待つ間、その人を支えるのは、物理的なエネルギーだけではありません。その物理的なエネルギーを支えるための、様々に関連づけられた物事もまた、その人を支えているのです。その中の1つに、音楽は必ず成り得ます。

これを「芸術の傲慢」と思う人もいるかもしれません。しかし、常に既にわたしたちの生活に音楽が入り込んでいるという事実を、否定することは出来ません。そしてこの音楽は、私たちのふだんの働きかけに、どういう形であれ、少なからず必ず影響を与えているのです。

ただし、音楽「が」できること、というふうに、音楽を何か特別視することは、わたしは非常に危険なことだと考えています。「音楽「が」できること」ではなく、「音楽「にも」できること」というふうに、音楽が非常時の役立ちの1つとして数え上げられること。このことは決して不自然でも、無益なことでもありません。

震災は繰り返されます。残念ながら。震災に限らず、私たちの生には、いつどのような形で非常時が襲いかかってくるか知りません。その非常時に、音楽は音楽としてどのように備えればいいのか。備えればならないのか。音楽「にも」できることはある。しかし、どのような音楽が? 「震災と音楽」に関して、私たちは次に、このことについて考えなければならないでしょう。

2.震災時に、本当に必要な音楽とは何か

2年前の東日本大震災では、これに伴う原発事故と電力不足問題が、音楽に大きく影響を及ぼしました。

20世紀以降の音楽、特に流通経路にのっている音楽は、電気なしではそのほとんどが成立しません。もしかすると、「すべてが」成立しないといっても過言でないかもしれません。

ロックやクラブミュージックといった明らかに「電気」を使用したとわかる音楽だけではなく、クラシックコンサートでも集音マイクが使用されていますし、何より———、電気なくしてはレコード文化など絶対にありえません。言うまでもなく、この場合のレコードというのは、CD やデータファイルを含んだすべての「録音物」という意味です。

電気がなければ、私たちの日常的な生活は成立しません。これと同じく、電気がなければ、もうほとんど音楽なんてあってないようなもの。なのかもしれません。

これは、電気のある/なしは、原発事故に関連した話ではありません。ライフラインが寸断されるほどの震災が発生すれば、原発事故のある/なしに関わらず、電力は喪失されます。自家発電でもしない限り。

仮に自家発電できたとしましょう。しかし、非常時の貴重な自家発電で、レコードを再生するなどと誰が考えるでしょうか。

非常時に無力なのは、電気の必要な音楽だけではありません。電気の必要のない音楽であっても、例えば、楽器が流されてしまっては意味がありません。楽器の中には、電気の必要なそれと同じくらい豊かに、電気を必要としない楽器があります。しかしそれも、全て津波に流されてしまったとしたら? 一体震災時には、どのような音楽が必要とされるのでしょうか。

簡単です。私たちには身体が残っています。ビートも残されています。これで充分です。

音楽は、聴く、メロディーを演奏するだけではありません。もっと素朴な次元で、私たちは音楽を享受することが出来ます。そしてこの素朴な次元の音楽こそ、震災時に本当に必要な音楽なのではないでしょうか。

東日本大震災直後、様々な音楽家が、Youtube などインターネット上に「励まし」の音楽をアップロードしました。しかしそれらはライフラインの寸断された被災地へは絶対に届きません。

被災した場合には、被災した当事者が音楽家になるしかないのです。その際、難しいことをする必要はありません。体力がなければ、大きな声を出す必要もありません。もしかして、声を出す必要すらありません。頭の中で歌う。これは立派な音楽行為です。

音楽が全てではありませんが、非常時に音楽が無くなることはありません。震災時に必要な音楽、震災時に成立する音楽は、「聴く」「演奏する」「伝える」といった音楽に関する先入観をとっぱらったところにある、その人自身のための音楽です。そしてそれは、とてもとても単純で、素朴で、素晴らしい音楽に違いありません。


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コメント

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