4 月 2 日、寝る前にスマホで web ニュースを確認したら、坂本龍一の訃報。
「あ、亡くなったんだ」
くらいで、めちゃくちゃ驚いたりはしませんでした。
高橋幸宏のときは驚きましたが。
坂本の場合、闘病生活をプロデュースしていたというか、もっと直接的に言うと、死に向かう様をプロデュースしていたというか、死に向かう音楽を作品にしていたように見えましたから。
だからめちゃくちゃ驚くことはなかったのですが、それでも、次の日、4 月 3 日は、一日中、坂本龍一のことを考えたり考えなかったりでしたね。
というのも、実はいちばん最初に買った CD が坂本龍一の『Sweet Revange』だったので。中 1 のときですかね。なんとなく、スゴい人なのだということを周りの大人の一部から刷り込まれていましたので、子どもの頃の好きなものって、周りの年上からの影響もけっこうあるじゃないですか。だから、背伸びして買った、ていう感じですかね。ネームバリューで聴いていたので、そんなに良さを理解していたわけではないのですが。
それから、中学生の頃は、『1996』も買って聴いてました。ただ、『1996』はけっこう好きで聴いてましたね。中学から高校にかけて。
ただ、中学から高校にかけてはお小遣い制でおカネも全然なかったので、坂本龍一の作品に関してはその 2 枚と、あと「energy flow」をずっと聴いていましたね。
坂本龍一は膨大な数の作品を残していますが、1 つだけ、坂本龍一と言えばコレ、という作品を選べ、と言われたら私は、「energy flow」ですね。
「energy flow」はやはり、インストで、当時のミリオンヒットを記録したのが偉業ですよね。そんなの後にも先にも、未だに坂本龍一だけですから。言葉は要りませんから。本当に音楽の力だけで、ミリオンヒットを叩き出した、貴重な作品ですよね。坂本龍一の最も偉大で、最も成功した楽曲は間違いなく「enegy flow」でしょう。作曲の技巧的に優れいているのような、最高傑作はまた別にあるかもしれませんが。「enegy flow」は本当に、大きなインパクトを残しましたよね。
「enegy flow」が流行ったのが高校の頃で、同じ頃に中谷美紀も流行りましたね。『cure』は傑作ですよね。
それから、大学に入って、バイトもするようになって、おカネも中高時代に比べたら使えるようになったので、たくさん CD やレコードを買うようになりましたが、そのなかに坂本龍一や YMO の作品もありましたね。大学生くらいは、坂本龍一を聴きたがる年齢だと思うのですが、私もご多分に漏れず、当時の坂本龍一をリアルタイムで追っていましたね。『ELEPHANTISM』とか『CASM』とか。『out of noise』くらいまでは、記憶が定かではありませんが、リアルタイムでリリースされていたアルバムを買って聴いていた気がします。
それから、昔の YMO のレコードを中古で買ってみたり。雑誌の影響で「『BGM』が好き」とか言ってみたりですね。
いまみたいにサブスクでなんでも聞ける時代ではなかったので、当時のおカネ払って聴けた範囲での判断でしかないのですが、『1996』以外は、実はそこまでハマらなかったですね。坂本龍一名義のソロ作は。ただ、ネームバリューもありますし、初めて買った CD の音楽家だったというのもありますし、三つ子の魂ではありませんが、半ば盲目的に、「良いんだ」と思い込んで CD を買っていましたね。単に良さを理解できていなかっただけかもしれませんが。『out of noise』収録の「hibari」は好きでしたが。
あとは、HASYMO は良かったですね。衝撃でした。当時、すごくかっこいいと思いました。YMO のオリジナルな、エキゾティックな旋律と、坂本龍一がソロで培ってきた (20 世紀初頭を坂本流に解釈した) コード感、当時最先端だった (そいて今でも色褪せない) エレクトロニカの音響、何より生演奏のグルーヴ。
HASYMO の頃はけっこう、精力的に 3 人でもライブ活動もしていた記憶があるのですが、フェスなどでも観ることのできる機会が何回かあったはずなのですが、今ふりかえれば、この頃にライブ観ておくべきでしたね。けっきょく生・坂本を一度も鑑賞できませんでした。
世間の評価も含め、やはりちょっと、好意的な捉え方をしにくくなっていったのが、東日本大震災にともなう原発問題きっかけの坂本の言動ですね。個人的にも、大学院、社会人と、20 代も後半になればジャズやら現代音楽にもいっちょかみで詳しくなって、いつの間にか坂本の音楽を追わなくなりました。
当時もう、10 年以上前になりますが、原発問題をめぐる坂本の発言に、違和感を表す記事をこのブログでも書きましたね。
今読み返すと自分でもかなり酷いことを書いていて、10 年前ということでご容赦願いたいのですが、当時は私は、「音楽家は音楽で、社会への意見を表現するべきだ」という意見を持っていました。今でも理想的にはこの意見を捨てていませんが、一方で、音楽家も市民的な職業のうちの 1 つなので、ぜんぜん、社会運動に参加することはおかしくもなんともないとも思うようになりました。
例えば靴職人は、アンチ体制のような靴を作る必要はありませんし、いや、アンチ体制な靴は見てみたいのですが、それはそれで。
でも、派手なスニーカーとか、明らかに日常向きでないデザインなどで、靴を通じて社会に訴えかけることはできますね。
何が言いたかったか、はて。
そうですね、坂本龍一が社会運動に参加していたことを、そこまでめくじら立てる必要はないのでは?
と思いますね。
と思うようになりました。今では。
しかし坂本が亡くなって、左翼的な音楽家勢が減ったのは寂しいですね。東日本大震災に端を発した原発問題や、これに関連するように SEALDs ラップとか、そういうふうに、左翼的に社会を変革していこうと訴える音楽が、最近は元気がないように思えます。坂本が亡くなったことで、さらに元気がなくなるのかな、と思うと、寂しい気持ちになります。
坂本は、抗議活動としてデモ集会において「たかが電気」のようなスピーチするだけでなく、実際に社会問題をテーマにした音楽作品も残してますよね。
脱原発運動でも、Shingo02 とコラボしたヒップホップ楽曲を発表しています。
個人的には、坂本のヒップホップ作品が好きでしたね。クラシック畑からのヒップホップへのアプローチの、稀有な例だと思います。最近でこそ、ヒップホップ的なアプローチの現代音楽というのが、少しずつ聴けるようになってきましたが、「ヒップホップのプロデューサーがクラシックサンプリングしました」的なのではなく、しっかし、クラシックや現代音楽の文法を踏まえつつ、ヒップホップとの融合を試みた先駆的な音楽家だったのではないでしょうか。坂本龍一は。
代表的なのは「undercooled」ですね。
「energy
flow」のように商業的に大成功したというわけではないと思いますが、坂本龍一がヒップホップへアプローチした作品のなかでも傑作ではないでしょうか。「undercooled」。
「undercooled」以前でも、「1919」のサンプリングは「ラップ」という意図で採用されていますし (「1919」の楽曲コンセプトとして、テクノなのですが)、忘れてはいけないのは Geisha Girls ですね。
Geisha Girls はコメディユニットということで、さすが、ヒップホップをそもそもパロディとして導入しているんですよね。パロディとは言え、ダウンタウンの佇まいも含め、めちゃくちゃカッコいいですけどね。Geisha Girls。
そもそも『Sweet Revenge』の音楽的テーマがヒップホップだったのですが。
こうした革新的なヒップホップへ挑んでいた坂本のソロ楽曲 (「Riot In Lagos」)が、そもそもヒップホップのルーツの 1 つだった、というのも音楽における歴史的物語ですね。
芸術は長い。人生は短い。
早すぎないですが? 71 歳。
たくさんたくさん、音楽で楽しませてくれました。音楽で考えさせてくれました。ありがとうございました。