音楽は人間だけのためのものなのでしょうか?私たちは音楽を作り、演奏し、聴くことで感動や喜びを感じますが、他の生き物たちも同じように「音楽」を感じ取ることができるのでしょうか?近年、音楽と動物との関係を探る研究が注目されており、特に「動物と人間が共に音楽を奏でる」ことに挑戦している一人の音楽家、デイヴィッド・ロスネバーグ(David Rothenberg)に注目が集まっています。彼の活動は、動物の音やリズムを取り入れて、音楽的な対話を生み出そうとするユニークな試みです。
今回ご紹介するのは、「Technology and Interspecies Musical Practice」(2024) です。この論文では、ロスネバーグがどのようにして人間と動物の音楽的対話を可能にしているのか、そしてそれを実現するために使用されるテクノロジーや理論について詳細に述べられています。本記事では、この論文の内容を掘り下げ、動物との音楽的な関わりを通じて人間の音楽感がどのように広がるのかを考えてみたいと思います。
デイヴィッド・ロスネバーグとは?
まず、デイヴィッド・ロスネバーグについて少し紹介します。彼は、音楽家であり、環境哲学者、エコ詩人としても知られています。彼の音楽的実践は、主に自然との共生を目指したものであり、動物たちと即興で音楽を作り上げるという独自のアプローチを取っています。ロスネバーグは、動物と人間の音楽的な境界を超え、技術を使って「自然と人間が一緒に作り上げる音楽」を模索しています。
異種間音楽実践とは?
「Technology and Interspecies Musical Practice」によれば、ロスネバーグの音楽は「異種間音楽実践」と呼ばれるもので、動物たちが自然の中で発する音(鳥のさえずりやクジラの歌声、セミの鳴き声など)を音楽的に捉え、それに対話的に応答する形で演奏を行うものです。このような実践には、テクノロジーが欠かせない役割を果たしています。彼は録音機器やコンピュータを使用して、動物たちの音をキャプチャーし、それを基に即興演奏を行うのです。
ロスネバーグが目指すのは、単なる人間主導の音楽ではなく、動物と人間が共に作り出す「共鳴する音楽」です。このような音楽は、どの種だけでも作り出すことができないものであり、人間と動物が共同で奏でることで初めて生まれる新しい音楽だと言います。
ウムヴェルト理論と音楽認知
ロスネバーグの異種間音楽実践を支える理論の一つとして、「ウムヴェルト理論(Umwelt theory)」があります。ウムヴェルトとは、ドイツの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll)が提唱した概念で、生物がその感覚器官を通して知覚し、意味を持たせる環境のことを指します。この理論では、各生物種が独自の「感覚の世界」を持っており、それぞれの種が異なる方法で世界を捉えているとされます。
「Technology and Interspecies Musical Practice」では、このウムヴェルト理論を基に、音楽的認知がどのように生物間で異なるのかを考察しています。例えば、人間にとって音楽として捉えられる音が、鳥やクジラにとっても同じように意味を持つのか、またそれらの音にどのように反応するのかが論じられています。ここで重要なのは、音楽が単なる「音の集まり」ではなく、生物たちがそれぞれの方法で音を「意味付け」している点です。
ロスネバーグの音楽的実践
ロスネバーグは、ナイチンゲール、クジラ、セミ、池の生き物など、さまざまな生物と音楽的対話を試みています。それぞれの生物との音楽的実践は異なりますが、共通しているのは「即興演奏」と「技術の活用」です。彼の音楽的実践のいくつかを以下で詳しく紹介します。
1. ナイチンゲールとの即興演奏
ナイチンゲールは、その美しいさえずりで知られています。ロスネバーグは、都市の中でナイチンゲールと即興で音楽を演奏するというユニークな実験を行っています。ナイチンゲールは、他の鳥の声を聞いて反応する「カウンターソング」という特性を持っており、ロスネバーグはこの特性を利用して、彼らと「音楽的な会話」を試みます。
彼のアプローチは、ナイチンゲールが歌う音に対して、人間の楽器で応答するというものです。ここで重要なのは、ナイチンゲールが人間の演奏にどう反応するかという点です。ロスネバーグは、ナイチンゲールが時には人間の演奏に応答し、時には無視する様子を観察しています。これにより、動物が「音楽」にどのように関わっているのかを探ることができるのです。
2. クジラの歌を視覚化する
クジラの歌は、人間にはその全体像を捉えるのが難しいですが、ロスネバーグはそれを「ソノグラム(Sonogram)」と呼ばれる視覚的な形式に変換することで、その構造を理解しようとしています。ソノグラムは、音の波形を視覚化したもので、これによりクジラの歌がどのように展開しているか、どの音がどのタイミングで繰り返されているのかが明らかになります。
ロスネバーグは、データビジュアライザーのマイケル・ディール(Michael Deal)と協力し、クジラの歌をより分かりやすく視覚化する新しい方法を開発しました。この方法では、クジラの歌の各音に対して特定の色や形を割り当て、それを音楽の五線譜に重ねることで、音楽的な構造を視覚的に捉えやすくしています。これにより、人間はクジラの歌を「音楽」として理解しやすくなり、クジラとの音楽的対話が可能になるのです。
3. セミのリズムに没入する
セミは、その周期的な鳴き声で知られています。ロスネバーグは、セミの鳴き声を録音し、そのリズムに即興で応答することで、セミと人間の音楽的対話を探求しています。セミの鳴き声は非常に規則的であり、その音の中に人間が関わる余地があるかどうかを探ることがロスネバーグの狙いです。
彼はセミの大規模な群れの中に身を置き、その圧倒的な音の中で演奏するという、没入型の体験を行っています。この体験を通じて、彼は人間がどれほど自然の音に影響され、それに応答できるかを探ります。また、セミの鳴き声を録音してサンプリングすることで、人間の演奏に組み込むことも試みています。
4. 池の音を可視化する
池の中の音は、通常人間の耳には聞こえません。しかし、ロスネバーグは水中マイクを使って池の中の生き物たちの音を拾い、それを音楽として扱っています。池の中には、植物や小さな生物たちが作り出す微細なリズムが存在し、その音を録音し、視覚化することで、新たな音楽体験を生み出しています。
このアプローチは、音楽が人間だけのものではなく、自然全体に広がっているという考えに基づいています。ロスネバーグは、池の音を長時間録音し、その中から興味深いパターンを見つけ出すという、非常に時間のかかる作業を行っています。これにより、人間が自然の音に対して新たな感覚を持ち、より深いレベルで自然と共鳴することができるのです。
結論:人間と動物の音楽的共存
「Technology and Interspecies Musical Practice」では、ロスネバーグの異種間音楽実践が、どのようにして技術と自然を結びつけ、人間と動物の新たな音楽的対話を可能にしているかが詳しく述べられています。彼の実践は、音楽が単に人間のためのものではなく、動物や自然と共に作り上げるものだという新しい視点を提供しています。
技術を活用することで、私たちは動物たちの音をより深く理解し、彼らと共に音楽を楽しむことができるようになるのです。ロスネバーグの挑戦は、音楽の定義を広げ、自然との関係を再考するきっかけを与えてくれます。