近世の音楽思想 (4) 模倣から表現へ

前回までで、フィレンツェ・カメラータからメルセンヌ、デカルト、ライプニッツに至る近世の音楽思想を探求してきました。今回の章では、18世紀を通じて模倣から表現へと移行する音楽思想の発展に焦点を当てます。

18世紀の音楽思想は、模倣と表現の関係性に関して重要な転換点を迎えます。フィレンツェ・カメラータから始まり、メルセンヌ、デカルト、ライプニッツに至るまでの音楽思想を探究してきた私たちのシリーズでは、今回、この時代の音楽がいかに非音楽的な対象や感情を模倣し、表現するかについての変化する考え方に焦点を当てます。参考は Stanford Encyclopedia of Philosophy の「History of Western Philosophy of Music: Antiquity to 1800」の項目です。

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模倣と表現の探究

18世紀における音楽に関する二つの基本的な問い――音楽は非音楽的な対象を模倣できるか、そしてその模倣はどのような価値を持つか、さらにその模倣が感情の音楽的表現にどのように役立つか――は、時代を通じてさまざまな回答を得ました。エイヴィソンからバトゥー、デュ・ボスにいたるまで、多くの思想家たちはこれらの問いに答えようとしました。

模倣への懐疑

18世紀の初頭から、音楽における模倣に対する懐疑が高まります。特に器楽音楽の台頭は、音楽が話し声や自然の音を模倣するという古い考え方に疑問を投げかけました。音楽の形式的、旋律的、調和的複雑さの増加は、音楽が感情を表現し、喚起する力を強化した一方で、その模倣能力についての疑念を深めました。

表現の再定義

チャールズ・エイヴィソン Charles Avison は、音楽が聴き手に感情的な反応を引き起こす能力に重点を置き、音楽の表現を感情の喚起として明確に定義しました。この考え方は、音楽の価値はその模倣能力ではなく、表現能力にあるという新しい視点を提示しました。エイヴィソンは、音楽が感情を表現する最も有効な手段であると論じ、これは後の音楽理論や美学に大きな影響を与えました。

模倣の役割の変化

18世紀を通じて、音楽における模倣の役割は徐々に周辺的なものとなり、音楽の価値は形式構造や感情の喚起によって再評価されました。この時代の終わりには、音楽を模倣芸術と見なす考え方はますます持続不可能となり、音楽が人間の表現行動を模倣することによって感情を表現するという考えも批判されました。

18世紀の思想家たちの貢献

チャールズ・エイヴィソン

音楽が感情を喚起する手段として、その表現能力に焦点を当てました。

シャルル・バトゥー Charles Batteux

芸術を自然の美しい模倣として定義し、音楽が感情の表現に最適な芸術形式であると主張しましたが、彼の見解は模倣と表現の区別にあまり明確さを持ちませんでした。

ジャン=バプティスト・デュ・ボス Jean-Baptiste Du Bos

音楽の模倣能力を強調し、音楽が感情を表現する手段としての価値を模倣に依存するものと見なしました。

ジャン・ル・ロン・ダランベール Jean Le Rond D’Alembert 、ディディエ・ディドロ Denis Diderot

音楽が本質的に模倣的であるという考えを支持しましたが、この時代の終わりには、音楽の模倣に関する見解は変化しました。

模倣から表現へ

18世紀の音楽思想の進化は、模倣から表現への転換を示しています。音楽が非音楽的な対象や感情をどのように模倣し、表現するかに関する理解は深まり、音楽の模倣能力に対する懐疑が増す一方で、音楽の表現能力の重要性が強調されるようになりました。この時代の音楽思想は、音楽が聴き手の内面に深く訴えかける力を持つという現代の理解へとつながっています。


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