ノイズの本質を探る: ジャック・アタリとポール・ヘガティの理論比較

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(2024)は、明治維新後のベストセラー史を整理きながら日本人の読書観を描出し、現代日本の読書スタイルを明らかにする読書論だと言えます。ただし本書は単なる読書論にとどまらず、「読書ができる生き方」を提唱しています。そのなかで「ノイズ」「半身で生きる」などいくつか重要な考え方が示されているのですが、この記事では特に「ノイズ」に注目したいと思います。というのも『なぜ働いていると・・・』における「ノイズ」は、本書において重要な位置を占めながら、そもそも「ノイズとは何か」が十分に議論されているとは言えないからです。

ノイズ論として名高いのはジャック・アタリとポール・ヘガティでしょう。端的に言うと三宅のノイズ観は、アタリやヘガティのノイズ観のような強度があるかどうかは意見が分かれるところでしょう。三宅におけるノイズと、アタリ、ヘガティにおけるノイズの比較は別の機会にゆずるとして、今回の記事では、アタリとヘガティのノイズ観を整理し、両者を比較したいと思います。

さて、音楽における「ノイズ」という概念は、単なる雑音や不快な音の領域を超え、社会的・文化的・哲学的な意味を持つようになりました。この記事では、ジャック・アタリとポール・ヘガティという二人の思想家が提唱する「ノイズ」に関する理論を比較し、その違いと共通点を探りながら、ノイズがどのように音楽や社会における変革の役割を果たしてきたかを考察します。

【スポンサーリンク】
スポンサーリンク

ジャック・アタリの「ノイズ」論

ジャック・アタリは、1977年に発表された著書『ノイズ: 音楽の政治経済学』(Noise: The Political Economy of Music)で、音楽が社会や経済にどのように関連し、変革をもたらすかを分析しました。彼にとって、音楽は単なる芸術的な表現に留まらず、未来の社会や経済構造を予見する「予言者」として機能する存在です。そして、その予見の中核には「ノイズ」があります。

音楽の4つの段階

アタリは、音楽の歴史を4つの段階に分けて説明しています。それぞれの段階でノイズがどのように扱われてきたかが異なり、その役割が強調されています。

  1. 犠牲(Sacrificing): 音楽が祭儀や儀式の一部として機能していた時代。この段階では、音楽は自然のノイズ(混乱や暴力)を秩序化する手段でした。
  2. 表象(Representing): 音楽が印刷技術や楽譜を通じて商品化され、コンサートホールでの演奏が一般化された時代です。この時代の音楽は、静寂に対する対立物として扱われ、ノイズは排除されました。
  3. 反復(Repeating): 録音技術の発展によって、音楽が無限に再現され、商業的に消費されるようになった時代。ここでは、音楽の反復がノイズと化し、社会の中で機械的なものと見なされるようになりました。
  4. 作曲(Composing): アタリは未来の音楽として、個人が自由に音楽を作り消費する時代を予言しています。この段階では、ノイズは既存の枠組みを打ち破り、創造性の新たな領域を切り開く力を持つとされています​。

ノイズの役割

アタリにおいて、ノイズは一貫して未来の社会変革を予告する力として機能します。社会の中で異質であり、理解されない存在であるノイズは、既存の経済的・文化的秩序を揺るがし、新しい時代の到来を告げるものです。特に、音楽の「反復」の時代では、ノイズは商品化された音楽産業の限界を示し、未来の「作曲」の時代に向けた準備をしているとされています​。

ポール・ヘガティの「ノイズ」

ポール・ヘガティは、著書『Noise/Music: A History』(2007年)で、ノイズを単なる雑音ではなく、音楽の枠組みを拡張し、挑戦するものとして捉えています。ヘガティは、ノイズを「自ら発する能動的な力」として捉え、現実の社会や文化に対して即時的に反応するものとしています。

ノイズの美学

ヘガティにおけるノイズは、単に社会から排除される「異質な音」ではなく、音楽的な枠組みや社会的規範に挑戦する能動的な力として定義されています。彼は、ジョン・ケージの「4’33″」や、日本のノイズミュージシャンであるメルツバウ(Merzbow)の作品を例に、ノイズがどのようにして音楽そのものを再定義し、新たな美学を創り出してきたかを示しています​。

ノイズの役割

ヘガティにとって、ノイズは即時的な抵抗であり、現在の音楽的秩序や社会に対して挑戦し、今ここでの変革を求めるものです。ノイズは能動的に発せられ、社会的な枠組みを揺るがす存在です。未来を予見するかどうかは重要ではなく、むしろその抵抗が音楽の新たな可能性を開く手段として機能します​。

アタリとヘガティのノイズ論の比較

ジャック・アタリとポール・ヘガティは、どちらもノイズに注目し、それが音楽や社会における重要な役割を果たすと認識していますが、そのアプローチや解釈には決定的な違いがあります。

1. ノイズの時間軸

  • アタリ: ノイズは未来の社会や経済変革を予見する力として機能します。現在の社会からは異質で理解されないものとして見なされますが、やがて訪れる変革を告げる「受動的なノイズ」として捉えられます​。
  • ヘガティ: ノイズは今ここでの社会的・文化的規範への抵抗として機能し、未来よりも現在の秩序に対して能動的に挑戦する「能動的なノイズ」として捉えられます​。

2. ノイズの機能

  • アタリ: ノイズは音楽を通じて社会経済の変革を予告する役割を果たし、未来の新しい秩序の到来を示唆します。
  • ヘガティ: ノイズは即時的な反応として、音楽や社会の枠組みを破壊し、新たな表現や可能性を創り出すための手段です。

3. ノイズの存在論

  • アタリ: ノイズは未来を予告する「異質な存在」として存在し、社会からは受動的にノイズだと認識されますが、実際には変革を先取りしています。
  • ヘガティ: ノイズは音楽の枠組みを意図的に壊す「能動的な存在」であり、社会や文化に対して積極的に挑戦します​。

まとめ

ジャック・アタリとポール・ヘガティのノイズ論を比較すると、ノイズが果たす役割やその存在論的な意味に大きな違いがあることがわかります。アタリはノイズを未来の変革の予言者として捉え、社会的・経済的な視点でその役割を強調します。一方で、ヘガティはノイズを現在の規範に挑戦する能動的な力として捉え、音楽や文化に即時的な影響を与える存在として見ています。

このように、ノイズは単なる音の乱れではなく、社会的・文化的な変革の触媒として重要な役割を果たしています。それぞれの理論は、音楽や社会の進化を考える上で貴重な視点を提供しており、ノイズの多層的な意味を理解する手がかりとなります。

【スポンサーリンク】
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

関連コンテンツとスポンサーリンク

【関連コンテンツとスポンサーリンク】



【スポンサーリンク】
スポンサーリンク