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東日本大震災について、3年目に思うこと

世間の取り上げ具合もかなり落ち着いてきて、わたしじしんの関心もかなり落ち着いてきています。2011年3月11日から経験し、思い、考え、そして思い考えざるを得なかったことたち—————、それは、音楽に関係してもいるし、音楽に関係ないことがらもふくまれる、そういったことたちは、「思い出さないといけないもの」になりつつあります。

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佐村河内守ゴーストライター「事件」は、もう音楽の問題じゃない

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https://twitter.com/kamba_ryosuke/status/431331222644477953 より)

昨日、今日と、佐村河内守ゴーストライター事件が注目を集めています。わたしも、それに便乗して、「音楽的にはこういう問題があるんだよ」「新垣隆って知らなかったけどスゴい音楽家だね!」みたいな記事を書きました。

が、今日、テレビで新垣の会見の一部や web 記事、あるいは、妥当性は不明ですが佐村河内に関するウワサ程度の web 記事に目を通すと、

(特に NAVER まとめなんて全然信用ならないんですが、)んー、正直、そうですね、音楽とか芸術とか、それ以前の、道徳とか倫理に関する問題ですね、これ。音楽に関して、特に「作曲とは何か」ていう点で興味深い出来事だったのは事実でしょうけど。でもこれ、単純に「出来事」とか「話題」て言って終わらすことのできない、「事件」ですよね? もう一回言いますけど、音楽とか芸術とかそれ以前の道徳とか倫理に関する問題だし、この事件を音楽的には〜、とか、芸術では〜、とか、エンタメビジネスでは〜、みたいなところで論じようとするのって、この事件の重要な点から目を逸らしてしまう、と思います。現代の日本なら、司法の場で解決されるべき問題で。

本サイトでも「音楽論」に結びつけて面白く書こうとしたことを、反省しています。とにかく、音楽云々を超えた、それ以前の事件ですので、今後、このブログでは取り上げません。また、前回のエントリーで「わたしの気になったツイートを Togetter にまとめる」と書きましたが、まとめるとほんの少しでも、この事件の音楽的な話題への関心集めに与することになるかもしれないので、まとめも作りません(もっと他の、「事件」性のない事態から、作曲とは? 音楽とは? という点について考えていくべきでしょう)。

この際なのでちょっと書きますが、そして、あんーまこのサイトでこういうことは書きたくないんですが、わたしは、音楽へ最上の価値を付与しているわけではないし(単純に「好き」というだけです。この「好き」の理由が分からない。理由が分かって、その理由が反駁されれば、音楽への興味なんてなくしてしまわなければならない、くらいに考えてます)、芸術という考え方を好意的に捉えてもいません。

音楽や芸術というのは、編み目のように〈質〉的に連携している客体の内の1つでしかなく、決してそれ自体が自律的な存在者ではない。そしてこの「編み目のように〈質〉的に連携している客体」を超越しかつ綜合するような何かがあるとすれば、それはきっと倫理とか、そういう何かだろう、と。

こういうふうに考えています。

こういう意味で、今回の「事件」は、倫理的に、実社会としては司法的に、解決されないといけないと考えています。

このように考えれば、音大関連のツイッタラーが、新垣隆の名前が出た瞬間、楽曲そのもの評価ではなく、新垣隆擁護というストーリーを描き始めたのは、何もおかしくない、むしろ当然のことだと。推測することができるでしょう。新垣隆擁護のツイートをぱらぱらと目にし始めたとき最初は、「作品に対する評価はどこいったんだよ」等々、

というツイートに象徴されるようなことを考えてしまったんですが。あくまで推測ですが、音大関係者は、報道で新垣の名前が出た瞬間、「音楽以前の問題だ」(=倫理・道徳、あるいは司法の問題だ)というのを、敏感に感じ取っていたのではないでしょうか。

前回のエントリーで書いた通り、新垣の音楽は素晴らしいし、もっと新垣のような楽曲が周知されるべきだと思ってます。

音大関係者が新垣を擁護するのは、彼らにとっての生 = 倫理が、そのまま音楽だからだと推測しています。わたしのようなその辺音楽ファンの場合、音楽と倫理を分けて考えてしまいますが、音大関係者にとってはきっと違うのでしょう。

新垣隆が、ちゃんと然るべき報酬を受け取り、自由に自作曲を書く活動の出来ることを、いまは願ってやみません。


音楽的な話題は事件の核心から目を逸らすことになる、と言いながら、それでも一言だけ。最後に。佐村河内守の「指示書」と、「図形譜」を同列に語るのはどうかと思います。

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図形譜はあくまで、五線譜で表すことの出来ない音を楽曲へと構成させるために考案されたものだと思います。しかし、佐村河内守のために新垣が書いた楽曲は、わたしの耳にした範囲では、五線譜で表記しても差し支えない、むしろ演奏者のためにも五線譜で表記するべき楽曲です。これを音楽史上の図形譜と同一視することは、図形譜に対する冒涜以外の何者でもありません(音楽史上の図形譜を批難するのは大いにけっこうです)。もちろん「五線譜で表すことの出来る音の構成をあえて図形譜で表した」などといったアート(笑)があるかもしれません。しかし、そうであっても、音楽史上の「図形譜」とは別種の、何かとして論じられるべきでしょう(ちなみにわたし自身、アマチュアで自作曲を作りますが、その際、どーにもアイデアがまとまらない場合には、簡単な(自分のための)「指示書」を書く場合があります。コードとか音階とかそれ以前の、漠然とした「音の流れ」みたいなののメモ書きですね。この「メモ書き」(佐村河内の場合は、報道を見る限りは、かなり精緻な「メモ書き」をしていた)を作曲と捉えるかどうか———、やめましょう。もっと別の機会に語られるべきです)。

 



新垣隆がヤバい。とにかくヤバい。いま直ぐ聴け!

【追記(2014/02/06)】「佐村河内守ゴーストライター事件」については、コチラもお読みいただけるとさいわいです。

えー、今日。なんとかかんとかさん、読み方が分からないんですが、いまちょっとネットで調べますね、えーっと、さむらごうちまもる、佐村河内守、なるほど、覚えましたし。

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吉村秀樹への追悼文

先ず、唯一まともに弾くことのできる楽器というのが、ギターなのですが、ワタシは。しかしそれでも、相当ヘタクソで、「え? お前、それでギターとか言っちゃってるのwww」みたいなレベルなのですけれども。本当に、マジで。

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東日本大震災について、2年目に思うこと

年月の流れと言うのは恐ろしいもので、東日本大震災から2年経った今、私はこの出来事を日常の中えふと想い出すことのどんどんすくなくなってきています。カレンダーの「11日」という日付を見ても、「ああ、○ヶ月目だな」などと、思い起こさなくなってきているのです。このこと自体は、悪いことではないと考えています。「私の日常が、いつのまに平穏を取り戻したのだ」。そう考えるようにしています(本当に? こういうのを「風化」というのではないのか?)。

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「音楽について「書く」ということ」への非完結的・非学問的な後書

えー、1月2日付けの本サイトの記事、つまり、正月にモチ食って半分酔っぱらってぐだぐだ書いたエントリーがですね、なんと! ワタシのような音楽ライターとか批評家とかそういう人間でない在野の音楽愛好家のブログにしては珍しく! 普段は1日50〜100程度・・・、1ヶ月の PV が2000にいくかいかないか・・・、という超・過疎サイト(笑) なんですけれども! はてなブックマーク50以上! Twitter でも100近くの tweet! そして 1000 PV超え! ということでですね、非常に多くの方に読んでいただいておりまして、大変嬉しく思っております。tweet に関してはワタシが RT しまくっておりますので、半分はワタシ( @xngyz )なんですが(笑) ですので、はてブして下さった方。と、Twitter でつぶやいていただいた方。というのはだいたい同じくらいの数なのかなあ、っという感じです。 続きを読む


音楽について「書く」ということ

新年1発目の記事があまりにもアレな内容でしたので(笑)、ちょっと2発目はマジメ路線でいきたいと思います。テーマは音楽と言語。ちょっとデカ過ぎですか(笑) G・トラシュブロス・ゲオルギアーデスによる同名の著作(『音楽と言語 (講談社学術文庫 (1108))』)もありますが。まあでも、全く文献的裏付けのないままに、思いつくままに、あ、アレですね、エッセー的な感じでですね、書きますので。気軽に読んでいただければと思います。 続きを読む


水上の古楽まつり

8月19日に、Kaor さん主催の「水上の古楽まつり」に参加してきました。

古楽とは、バッハ以前の西洋音楽のことです。バロックやルネサンス、中世の西洋音楽が、ひとまとめに「古楽」と呼ばれています。

要するに、いわゆる、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンといった「古典派」より前の西洋音楽、ということですね(と、軽く言ってしまうと専門的な方々からかなり細かいツッコミが入りそうですが(笑、大雑把に言ってしまうとそういうことです)

ちなみに、本サイトでも以前、古楽をテーマに少し記事を書いていました。

古楽については、

の2冊が入門書的かつ詳しいです。

そんな古楽を、「船の上で」楽しむという主旨の下、開催された「水上の古楽まつり」。

ワタシは昨年の夏くらいから、「古楽」という音楽を知り、たまーに聴くくらいの言わば「ニワカ」なんですが。参加者にはライトな古楽ファンから、ガチの専門家までいらっしゃって、相当楽しかったです。なかにはバロックやルネサンスのコスプレをされている方もいらっしゃいました。うん、哲学もそうなんですけど、やっぱ日本人が西洋文化を理解するためには最終的にはコスプレの境地に辿り着かなければならないのですね!

船のルートは、当初の予定では、「隅田川を下りながら」スカイツリーを眺めるコースだったようですが、潮位の影響で東京湾クルージングに。なんと(スカイツリーの影に隠れてちょっと話題性の薄い(笑 )ゲートブリッジの下をくぐる! というですね、いやー、コレはかなり興奮しましたね。やっぱトーキョーの夜景は船上から見ないとね!

などと書いていると、コスプレやらゲートブリッジやら「古楽はドコいったんだよ!?」というツッコミを受けそうですが、何とですね、当日は古楽の楽器を持っていらっしゃる専門家もいらっしゃいまして。というか、アカデミックに古楽を研究されていらっしゃる方々はほとんど、自前の楽器をお持ちになっていたようです。

それで、モーツァルトのクラヴィーコードを聴きながら、東京湾の夜景を眺める、ていう。かなーり貴重な(笑 体験をしました。

クラヴィーコードは非常に繊細な楽器のようで、湿気に弱いらしく、潮に当たるなんてもっての他らしいのですが、お持ちになっていた方が「どうしても外で弾きたい!」ということで、デッキで演奏していらっしゃいました。楽器生命に関わるですね、非常にスリリングで、言わば極限状態のなかの演奏だったのですよ、コレが(笑 エクストリーム古楽ですね、エクストリーム・モーツァルトでも良いですよ!

あ、ワタシも少しクラヴィーコードを触りました。これも貴重な体験!

クラヴィーコードなんですが、というか、古楽の楽器全般に言えることなのかもしれませんが、音が小さい。ということで、船のデッキで演奏してもほっとんど風と波とエンジン音で聴けなかったんですけど(笑、だからこそ一生懸命、音色に耳を傾けなければいけなかった、っていう。あれほど真剣に演奏を聴こうとしたのは、最近ではなかったかもしれません。

そして、当然と言えば当然で、電気を使わない。もうですね、聴き終わった後に、電気使わないんだったら、節電のために世の中の楽器全てを古楽器にすれば良いんじゃないかな! っていう。ロックとかそーいうので脱原発を盛り上げるより、古楽器で脱原発を主張した方がよっぽど説得力あるんじゃないかな! なんていう。そーいうことを考えさせられたりもしました。

こんなふうに、ワタシのようなニワカから、ガチの専門家が一堂に会して、音楽を楽しむ、っていうイベントが、あらゆるジャンルの音楽でもっと広がればなあ、って思います。

こんなふうに、ワタシのようなニワカから、ガチの専門家が一堂に会して、音楽を楽しむ、っていうイベントが、あらゆるジャンルの音楽でもっと広がればなあ、って思います。なお、当日の様子は、Togetter にもまとめられています。

 




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