西洋音楽史、20世紀前半の5回目です。前回はコチラ.
今回取り上げるのは、楽派ではなくエリック・サティErik Alfred Leslie Satie という1人の音楽家です。
フランスの作曲家サティは、当時からすると未来の音楽を先取りする、新しい考え方をいくつも提示しました。
1.「バラ十字会」の公認作曲家
サティはアカデミズムとは無縁でした。
1895年くらいまで、モンマルトルの有名なキャバレー「黒猫」や「オーベルジュ・デュ・クル」でピアノを弾いていました。
また同じ頃、「バラ十字会」という組織の公認作曲家という肩書きも持っていました。この「バラ十字会」とは、フランスの文学者J・ペダランが創設した神秘主義的な傾向を持つ秘密結社で、15世紀ドイツの伝説場の魔術師ローゼンクロイツによる教育を信仰する、中世キリスト教会の流れを汲んでいます、っていうよくわからない団体です(笑。この「バラ十字会」から、サティは1890年に公認作曲家の肩書きを得ました。
この頃既に、代表曲《3つのジムノペディ》を作曲しています。
また、同時期には《3つのグノシェンヌ》を作曲しています。
この2曲とも、グレゴリオ聖歌風の全音音階的な音の動き、あるいは平行和音を用いています。ドビュッシーとは友人で、サティの作品はドビュッシーの作風のい影響を与えたと言われています。
2.ダダイズム、シュールレアリスムへの接近
1900年代に入りサティは、カフェ・コンセールのピアニストや、シャンソンの作曲家として生計を立てるようになります。
1910年代にはダダイズムやシュールレアリスムの作家・画家たちと接近し、この頃に発表した作品はダダを先取りするとして評価・注目されました。
なお、ダダイズムとは、第1次世界大戦から戦後にかけ、ドイツ、スイス、フランスで広まった美術や文学における運動です。伝統的な芸術観への反抗や諷刺が特徴で、1916年~20年頃までニューヨークやベルリン、ケルンなどで機関誌を発行、各種展覧会が開催されました。
ダダイズムやシュールレアリスムに注目されたサティの作品としては、喜劇《メドゥーサの罠》です。
また、ロシア・バレエ団の委嘱で作曲された《パラード》では、コクトー(台本)やピカソ(舞台装置と芸術)、マシーン(振り付け)といった当時一流の前衛芸術家たちとのコラボレーションが実現しました。
《パラード》は1幕のバレエで、1917年にパリのシャトレ座で初演されました。日曜日のパリの往来を舞台としたストーリーで、フランスの旅芸人一座が公演の呼び込みに簡単な芸をみせる、という内容になっています。音楽派、サイレンやタイプライターといった、日常音が使用され、注目を集めました。
3.家具の音楽
サティは1920年に〈家具の音楽〉を作曲しました。
〈家具の音楽〉は、音楽はかつてのように沈黙や集中力をもとめるのではなく、まるで座り心地の良い椅子や何気なく壁に掛けられた絵画のように、人々の注意をひかず、そこにあるだけで安らぎやくつろぎをもたらすべきだ、という理念に基づいています。
この理念によりサティは、第2次世界大戦後の作曲家たちに先駆者として崇拝されるようになりました。特にアメリカ実験主義の作曲家たちに、新しい方向性を提示しました。
次回はアメリカ実験音楽です。