田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。
田村和紀夫によると、リズムは「音楽の生命の源である「何か」」(p. 95)ということになります。「生命」といわれると、非常に比喩的で、分かったような分からないような変な感じなので、いちおう、田村和紀夫のいわんとしているところを私なりの言葉で言い換えると、音楽に「躍動感」や「生気」を与える何か、ということになるのではないでしょうか。
さて、ここまで読んだところによると、リズムはあくまでも「何か」なので(笑)、もちろん、田村和紀夫のリズムについての説明が続きます。先ずは、リズムについての起源論的仮説が紹介されます。その部分を引用します。
「それにしても、リズムはそもそもどこから生じるのでしょうか。リズムは人体の運動に根ざしており、それが音楽の根源にあるのだ、と主張したのは、音楽起源論で集団労働説を唱えたビューヒャーだったといいます」(p. 95)
もう少し引用しましょう。
「ザックス Curt Sachs (一八八一~一九五九)によれば、すでに古代ローマのクィンティリアヌス Marcus Fabius Quintilianus (三五頃~一〇〇頃)も同じことを述べています。「リズム rhythm は身体運動のなかに存在する」。そして、さらにこういいます———「ミーター meter は言語のなかにのみ存在する」と」(pp. 95 – 96)
この、ザックスによるリズムについての説明の出典(当エントリーのパクリのパクリ元)は、クルト・ザックス『リズムとテンポ』Rhythm and Tempo, 1953. (岸辺成雄監訳、音楽之友社、1975年)からだそうです。
さて、「ミーター」という単語が出てきましたので、これについて説明されている箇所も合わせて引用しましょう。
「ここでリズムと対比されているミーターは、音楽用語としては「拍節」と訳されます。拍節とは、強 – 弱といった拍の単位が、時間的推移のうちに組織化されたものを指します。したがって、拍節と拍子は同じ概念のように見えます。ただし拍子は「何拍子」といった具体的な組織を指すのに対し、拍節は組織性そのもの、あるいは周期性そのものを指す傾向があります」(p. 96)
いやー、勉強になります(笑) この後に、田村和紀夫は、ザックスのリズムについての説明に倣って、リズムを拍子として捉えようとします。んー、しかし言語活動と身体活動がはっきりと区別される、というのは少し違和感を感じますというか。言語活動と身体活動を区別しようとすればするほど、「あれ、でもそれ、両方でいえるよね?」状態になりかねません。が、深いツッコミはしないでおきましょう(笑)
今回は「ミーター」という単語について学習できたということで。えー、それだけです・・・。