古楽とポピュラー音楽の接点!?

金澤正剛『新版 古楽のすすめ』の、「第十一章 忘れ去られた音楽について」についてのノートです。第十一章に関しては、以下も参考にしてください。

「古楽」については、以下を参考にしてください。

さて、『~ 古楽のすすめ』「十一章」では、「忘れ去られた音楽」という表題で、中世からルネサンス、バロック時代の「民間」の音楽がテーマになっています。この時代の「民間」の音楽はほとんど存在していない。そして、これと「楽譜」の関係について、民間の音楽(3)でみてきました。

もう少し「楽譜」についての話題が続きます。「職業音楽家と楽譜」と題された節を、読んでみましょう。ここでは、金澤正剛のアメリカ時代の経験を元に、「楽譜」が話題にされています。

「これは私がまだアメリカに住んでいた頃の話であるが、当時親しく付き合っていた作曲家の友人のところに、有名なポピュラー音楽の歌手のひとりが訪ねてきた。おりいって頼みがあると言うので、何だと尋ねたら、楽譜の読み方を教えてくれという」(金澤正剛『新版 古楽のすすめ』(2010年、音楽之友社) p.228)

この場合の楽譜とは、五 線 譜 に代表される、西洋音楽の伝統に則った楽譜でしょう。歌手のみならず、ポピュラー音楽業界では、楽譜の読み方を知らない人がたくさんいるのではないでしょうか。このエピソードは、そのことを物語っています。しかし、楽譜の「読み方」を 知 ら な い ことは、決して音楽能力が低いことと等しくありません。なぜなら、(金澤正剛の友人のところに訪れたポピュラー歌手の歌が上手いかどうかは別として、)このポピュラー歌手は「国際的にも人気を集めていた」(同ページ)からです。

もう少し読み進めましょう。

「この話は職業的なポピュラー音楽家にとって、楽譜を読むことは必ずしも必要なことではなということを物語っている。そればかりではない。世界的にその名を知られた音楽家の中にも、楽譜を読むことができない人、いや読む必要を感じていない人がいることを実証しているわけである」(同ページ)

「職業的なポピュラー音楽家」と言う表現が、あたかもこれに対する「芸術的音楽家」が存在することを思い起こさせるかのようで、ちょっと一言いいたくなりますが(笑) 誤読だったらすみません(笑) えー、私が先ほどコメントしたことと似たようなことが書いてあるのですが、ちょっと私のコメントが踏み込みすぎていますね。やはり、「職業的なポピュラー音楽家」 と し て 「世界的にその名を知られた」とは書いてありますが、 音 楽 能 力 が 優 れ て い る とは書かれていませんね。この辺は厳密に区別しなければならないのかもしれません。

もしかして金澤正剛にとっては、「音楽能力」などというものはそもそも関心外(悪い意味ではありません)なのかもしれません。


【スポンサーリンク】
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

関連コンテンツとスポンサーリンク

【関連コンテンツとスポンサーリンク】



【スポンサーリンク】
スポンサーリンク