わたしのことなんですけど, 老害というのは.
以前の記事の補足ということで.
以前の記事でも, 違和感というのは書いたんですけど, もっとはっきりしたので, 改めて書いておきます.
違和感の正体
まあね, いろいろね, あると思うんですよ, それは分かる, 吟遊詩人の時代では, とか, 文学賞にはベルクソンやラッセルといった哲学者も, とかね.
でもまあ, やっぱ違和感があるというは, その, 元々は一緒だったかもしれないかもしれない 2 つが, いまははっきり分かれてて, で, いきなり分かれてた方の片割れから「お前の業績スゴいからこっちの業績にするわ. 元は一緒でしょ」て言われたら, そりゃ, いい気しないヤツがいてもおかしくないんじゃないの, ていう. 応援している側としてもね.
ボブ・ディランを別に応援してなくても, 音楽を応援している人のなかに, そう思ってる人がいてもいいと思う.
文学界では賛否両論らしいけど
こっからはネット記事へのちまちました意見です.
文学界からは賛否両論らしいけど,
個人的に気に入ってるのは, Trainspotting の作者の
「私はディランのファンだが、これは、もうろくしてわめくヒッピーらの悪臭を放つ前立腺がひねり出した検討不足で懐古趣味な賞だ」
ていうツイートで,
I'm a Dylan fan, but this is an ill conceived nostalgia award wrenched from the rancid prostates of senile, gibbering hippies.
— Irvine Welsh (@IrvineWelsh) October 13, 2016
もうさすがだな, と ( 笑 ) こういう下品なのわたし好きなんで.
音楽界側からの否定的な意見
でも, だから, 音楽界からももっと否定の意見がでてもいいと思うんだよね.「第 2 の文学ってなんだよ!」みたいな.
「第 2 の文学」という言い方があまりよく思ってない人も, ツイッター上にはいるようですが, ただ, ケチ付けとして盛り上がってるのは, 日経の見出しへのケチくらいで,
観測範囲では. もうちょっと過激な意見が出てもいいと思うんですけどねえ.
ノーベル文学賞の選考基準
ノーベル文学賞の選考基準については, こういう匿名のネット記事なんかもあり,
なるほどね, と. ノーベル文学賞は政治的な意図があるから, ていう. ジョン・レノンはどうなんでしょうね, と思いますが.
つらつら書いてきましたが, わたしとしては前述の, 音楽は音楽なんだからもとは一緒とかいきなり文学側から言われても音楽ファンとしては困る, と. ノーベル賞の選考理由はそうではなく,「アメリカの音楽の伝統において新たな詩の表現を創りつづけた」「第 2 の文学」ということなんですが, それはそれでなんか嫌だ, といったところです.
コメント
小説で有れ詩歌で有れ、受賞に依って自分の嗜好或は評価が変わるって程には俗物に堕ちて無いんで、正直拘泥る方の感覚が判ら無いし、余り分かり度くも無い。又、受賞を渇望してた作家さん達がぶつくさちゃらんけするのは浅間しいと思いつつも何と無く判るんだけど、でも文学性評価に於いてノーベル賞を権威有る物と見做してる訳じゃ無いのに名声弥増し狙いってのも相当の醜態だよなあ、と。別に小説書きから人生を学ぼうなんて夢寐だに思わんし、況して実人生の振舞なんぞ目を背け度くなる者も多い事でも有るから、何うでも良いけど。で、傍流通俗からも文学を汲み取る度量が有るってのの誇示に使われた気配も有って、ファンだから受賞者が迷惑がって乃至は鬱陶しがって無きゃ良いんだけどね。