2026年8月21日、DOWNTOWN+で新番組『千原ジュニアの芸人王様ゲーム』の配信が始まりました。「ダウプラ解放区」という新しい枠の第1弾であり、松本人志が出演者として登場しない、同サービスでは異例のオリジナル番組です。
松本はこの収録に参加していません。大腸がんの手術と療養の時期が重なったためです。
番宣動画のなかで松本は、自分の芸人人生が「大腸がん以前/以後」に分かれると冗談めかして話していました。本人にとっては、もちろん笑いに変えるべき材料なのでしょう。しかし長く見てきたファンにとって、この区切りは冗談だけでは済みません。
少なくとも私には、そうでした。
松本人志が死ぬ。ならば私も死ぬ
私は10代のころから松本人志を見てきました。
若いころ、松本は年上のスターでした。しかし、どこか年齢のない存在でもありました。新しい笑いを次々と発明し、昨日までのテレビを古くしてしまう人でした。こちらもまた、自分が年を取ることなど本気では考えずに、その笑いを追いかけていました。
その松本が大腸の腫瘍切除手術を受け、本人の言葉でがんだったと明かし、ストーマ(人工肛門)を造設していることまで語りました。
松本人志も死ぬかもしれない。
そう思った瞬間、それはそのまま、私も死ぬのだという事実になって返ってきました。死は前から知っていたはずです。それでも、知識でしかなかった死が、自分と同じ時間を生きてきたスターの身体を通して、急に現実になりました。
松本のストーマは、私にとって松本の老いだけでなく、私自身の老いを告げるものでした。
排泄物を笑ってきた芸人の、奇妙な宿命
ここで少し、話を横道へそらします。
松本人志は、昔から排泄物を笑いの材料にしてきました。うんこ、肛門、放屁。人間がどれほど格好をつけても逃れられない身体の下半分を、執拗なほど笑いへ持ち込んできた芸人です。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』には、そのものずばり『腸』というコントまであります。ただし、これは人の腹から腸が飛び出す話ではありません。古びたアパートに暮らす老夫婦が、巨大な腸をめぐって夫婦げんかをするコントです。2階から腸を捨てようとする老婆と、それを止めて拾いに行く老人。その異常な小道具を、登場人物だけがごく日常的な生活用品のように扱います。
そして今、本人が「腸が飛び出た芸人」を名乗り、ストーマや排泄を自分のネタにしています。奇妙な偶然です。ここまで来ると、宿命という言葉さえ浮かびます。
ただし、笑われているのはストーマを使う人たちではありません。松本は、自分の身体に起きたことを、自分の言葉で笑いへ変えています。深刻な現実を否認しているのでもないでしょう。深刻さを十分に知ったうえで、それだけには支配されないために笑っているように見えます。
身体は壊れる。排泄からは逃れられない。人間は死ぬ。そのどうしようもなさを、松本は以前から笑ってきました。今度は、その笑いが自分自身の身体へ戻ってきたのです。
ここまでは、松本の病気とストーマが、長年のファンである私に何を感じさせたのかを書いてきました。ここから少し視点を変え、本稿の中心となる松本人志の笑いそのものへ進みたいと思います。
松本自身も、半ば冗談とはいえ、自分の芸人人生には「大腸がん以前/以後」という区切りがつくと語っています。本人がそこまで明確に「以前」と「以後」を分けるのであれば、それはファンである私にとっても、一度立ち止まり、これまで見てきた松本人志の笑いとは何だったのかを考える節目になるはずです。
私はこの機会に、松本の笑いの何に惹かれてきたのか、その独自性はどこにあったのかを、自分なりにまとめて論じておきたいと思います。
ここからが、本稿の本論です。
「緊張と緩和」には、一つ抜けているものがある
松本は笑いを語るとき、しばしば「緊張と緩和」という言葉を使います。張りつめた状況が崩れる。その落差によって笑いが起きる。確かに、多くの笑いを説明できる考え方です。
けれども、ここには一つ抜けているものがあります。
それは、緊張と緩和の〈間〉です。
普通に考えれば、まず緊張があり、次に緩和があり、そのあいだに短い空白があることになります。しかし私は、順序が逆なのではないかと思います。
まず〈間〉がある。その〈間〉のなかで、ある身振りや言葉が「緊張」となり、次の身振りや言葉が「緩和」となって立ち現れるのです。
ボケは、発せられた瞬間からボケなのではありません。浜田雅功がどう見るか。いつツッコむか。共演者が息をのみ、観客が次を待つ時間がどれほど続くか。その場に張られた〈間〉によって、直前の言葉が遡ってボケになり、直後の言葉がツッコミになります。
ここで、お笑いから音楽へ少しだけ視野を広げます。テレビのお笑いは大衆芸能であり、武満徹の現代音楽は一般にハイカルチャーの側で論じられてきました。両者では、表現の形式も、置かれてきた文化的な場所も大きく異なります。それでも〈間〉という観点に立つと、意外な共通点が見えてきます。
音楽における〈間〉を重視した作曲家として、しばしば名前が挙がるのが武満徹です。武満にとって、沈黙は音と音のあいだに残った空虚なゼロではありません。休符や沈黙によって、直前の音の長さや重さが決まり、次の音がどのように聞こえるかも変わります。音が沈黙を際立たせ、沈黙もまた音の輪郭をつくります。
この構造は、松本の笑いにも通じます。松本の発話と、その後に置かれる沈黙は、別々に存在しているのではありません。沈黙の長さや、その場に漂う緊張によって、直前の発話がボケとして立ち上がり、次の一言がツッコミや緩和として聞こえます。大衆芸能と現代音楽という距離のある二つの領域で、〈間〉はどちらも、前後の表現を成立させる積極的な働きを担っているのです。
松本人志の笑いは、言葉の笑いである以上に、〈間〉が言葉を笑いへ変える芸なのです。
松本は〈間〉そのものまで笑いにする
しかも松本は、間を巧みに使うだけではありません。〈間〉という技法そのものを、しばしば笑いの対象にしてきました。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の理不尽シリーズには、「フリスクの間やないねん」という言葉があります。別の有名な場面には、「熱々おでんの間じゃないな」という言い回しもあります。
フリスクを口へ入れて一呼吸置く間。熱いおでんを口へ押し込まれ、熱さに耐えながら反応を返すまでの間。松本は、それぞれの状況には固有の〈間〉があることを、誰もが知っているかのように話します。そして「今のはその間ではない」と、存在するはずのない細かな分類を持ち出すことで笑わせます。
ここには二重の仕掛けがあります。
第一に、観客は「フリスクの間」「熱々おでんの間」がどのようなものか、説明されなくても何となく想像できます。第二に、その共有感覚を松本が即席の専門用語のように名づけた瞬間、普段は透明だった〈間〉が急に目に見えるものになります。
つまり松本は、〈間〉を使って笑いを起こすと同時に、私たちが〈間〉を暗黙に共有しているという事実そのものまで笑いにしています。もし〈間〉が一部の美学者だけに通じる難解な概念なら、このボケは成立しません。「間が悪い」「間を取る」「間抜け」といった言葉を日常的に使い、場面ごとに違う間を身体で理解している観客がいるから成立する笑いです。
『松本人志ショー』はベルクソンから松本を読んだ
松本人志を哲学や美学から論じる試みは、もちろん本稿が初めてではありません。
代表的な先行評論に、阿部嘉昭『松本人志ショー』(河出書房新社、1999年)があります。出版社は同書を、道化、ベルクソン、不条理劇など、歴史的・民俗的な笑い論を援用し、簡単にはオチへ向かわない「停滞」の笑いを開拓した松本を論じる本として紹介しています。
ベルクソンの『笑い』は、生きているものに機械的なこわばりが貼りついたときに可笑しさが生じると考えました。人が転ぶこと、同じ動作を反復すること、柔軟であるはずの生が自動機械のようになること。『ごっつええ感じ』のコントに繰り返し現れる、奇妙な規則、硬直した人物、同じ振る舞いの執拗な反復を考えるうえで、これは今なお強力な理論です。
もちろんベルクソンも、笑いを孤立した個人の心理だけで説明したわけではありません。笑いには他者への反響が必要であり、一つの社会的な身振りでもあると考えています。その意味では、ベルクソンのなかにもすでに関係論的な契機があります。
阿部の本はベルクソンだけで松本を説明した単純な本ではありませんし、その先駆性も否定できません。それでも、ベルクソンを主要な補助線にして「何が笑いの対象となるのか」を考えるだけでは、松本の笑いの本質をまだ捉えきれないのではないか、と私は思います。
なぜなら松本の笑いでは、可笑しい人物や機械的反復だけでなく、それが置かれた場の呼吸が決定的だからです。同じ言葉、同じ表情、同じ転倒でも、誰が見ているのか、何秒待つのか、誰が沈黙を破るのかによって、笑いにも不発にもなります。
ベルクソンから松本を読むと、「何が人を笑わせるのか」が中心的な問いになります。これに対して〈間〉から松本を読むなら、問いは「笑いという出来事が、どのような場で成立するのか」へ移ります。
もう一つ、ベルクソンの哲学全体が重視した「持続」と、本稿でいう〈間〉の違いもあります。持続は、時計で区切られる以前の、生きられた時間の連続的な流れを捉えようとします。これに対して〈間〉は、時間の長短だけではなく、空間の隔たりや人間関係までを一語で引き受けます。しかも本稿の仮説では、連続する流れの途中に切れ目が入るのではなく、切れ目が開くことによって「前」と「後」が生まれます。〈間〉は持続の一部分ではなく、差異を発生させる場なのです。
武満徹と和辻哲郎は、どこでつながるのか
ここで和辻哲郎へ進む前に、先ほど名前を挙げた武満徹と和辻の関係を整理しておきたいと思います。
武満が和辻の著作から直接影響を受け、その「間柄」を音楽の〈間〉へ移した、と証明できる資料を、私は今のところ確認できていません。したがって、和辻から武満へ一本の線を引くことはできません。両者はまず、別々の領域で別々の問題に取り組んだ人です。和辻の「間柄」は、人間が他者や社会との関係を離れて存在できないことを考える倫理学・人間存在論の概念です。これに対し武満の〈間〉は、音と沈黙、演奏者と聴き手、作品とそれを取り巻く環境が出会う時間的・空間的な場をめぐる音楽思想です。
ただし、両者が無関係だったと片づけるのも早計でしょう。そこには、少なくとも二種類の接点があります。
一つは、近代日本の芸術や思想を、西洋の単なる模倣でも、閉じた伝統主義でもない形でどう組み直すか、という共通の問題です。和辻は『風土』や『倫理学』で、人間を孤立した主体としてではなく、気候、土地、歴史、共同体との関係のなかにある存在として捉えました。武満もまた、西洋の作曲技法を学びながら、日本の音や自然観を固定した素材として引用するのではなく、音が沈黙や環境との関係から生まれる仕方そのものを作曲の問題にしました。
もう一つは、武満の先達であった早坂文雄を介した間接的な思想史上の接点です。早坂は若い武満を支え、映画音楽の仕事を紹介し、日本の音楽をどのように現代化するかという課題を先行して引き受けた作曲家でした。西村雄一郎『黒澤明と早坂文雄』を紹介した松岡正剛によれば、早坂の1953年の手帳に残された「現在尊敬セル人々」のなかには、和辻の名もありました。これだけで和辻から早坂、早坂から武満へ〈間〉の概念が伝達されたとはいえません。しかし武満が学んだ世代の作曲家たちが、和辻を含む当時の日本文化論と無縁ではなかったことはうかがえます。
したがって、本稿で武満と和辻を結ぶのは、直接的な影響関係というより、問題の構造です。和辻にとって個人は、完成した実体として先に存在し、その後で社会へ接続されるのではありません。武満にとっても音は、孤立した物体として先にあり、その後で沈黙のなかへ配置されるのではありません。人は間柄のなかで人になり、音は沈黙や環境との〈間〉で音になります。
この共通点と相違点を踏まえたうえで、和辻の「間柄」を、松本人志の笑いを読み直すための補助線として導入したいと思います。
ベルクソンの先へ――和辻哲郎から松本を読み直す
ここで手がかりになるのが、和辻哲郎の「間柄」です。和辻は人間を、まず孤立した個人として捉え、その後で他者との関係を付け足すのではなく、初めから人と人との〈間〉に生きる存在として考えました。
もちろん、和辻自身が松本人志の笑いを論じたわけではありません。それでも和辻から松本を読むなら、笑いは芸人の頭のなかに完成品として存在し、それが観客へ運ばれるものではなくなります。
松本、浜田、共演者、観客。そのあいだに生まれる緊張、予期、ためらい、呼吸、沈黙。それらが一つの場をつくり、その場からボケとツッコミと笑いが同時に立ち上がります。
この考えをさらに押し進めれば、松本というボケと浜田というツッコミが最初に存在し、その二人のあいだに関係が生まれるのではありません。ダウンタウンと観客がつくる〈間〉が先にあり、その場における二つの位置として「ボケの松本」と「ツッコミの浜田」が立ち上がることになります。
だから、ボケとツッコミは固定された属性ではありません。浜田の怒りがボケになり、松本がそれを眺めながら短い一言で処理することもあります。観客の笑いが次の発話を誘い、二人の役割を書き換えることもあります。ダウンタウンの笑いは、二人の才能の足し算というより、二人と観客のあいだで役割が絶えず生成される運動なのです。
私は、この考えを「AとBがあって、その中間に〈間〉がある」のではなく、〈間〉が開かれることによってAとBが生まれる、と表現したいと思います。さらに大胆にいえば、そこにあるのは個人でも全体でもなく、まず〈間〉なのです。
これは、個人を巨大な「全体」へ従属させる全体主義とは違います。全体主義は、国家や民族や組織を一つの実体として固定し、部分である個人を服従させます。しかし〈間〉は、誰かが所有する固定的な全体ではありません。出会いのたびに生まれ直し、そこにいる者によって変化する場です。だから個人に先立つと同時に、個人の働きによって絶えず作り替えられます。
これは和辻自身の文章をそのまま要約したものではありません。和辻の「間柄」を、武満の音と沈黙、そして松本のボケとツッコミへ接続して徹底した、本稿独自の読みです。しかしこの読みを採れば、「緊張と緩和があるから間が生じる」のではなく、「間があるから緊張と緩和が現れる」という逆転を、単なる言葉遊びではなく存在論として考えられます。
和辻以前に散在していた〈間的なもの〉
ここで、「間柄」という発想を和辻一人の独創として扱うことにも慎重でありたいと思います。和辻以前の日本文化には、後世の私たちから見れば〈間〉とよく似た構造を持つ概念や技法が、世阿弥のほかにも数多く存在しました。
ただし、それらが古代から「日本的な間」という一つの思想として自覚され、変わらず受け継がれてきた、と考えるのは危険です。時代も、分野も、使われた言葉も違います。以下に挙げるのは一本の教義の系譜ではなく、表現された物だけでなく、言われなかったこと、切れ目、取り合わせ、複数の人や物がつくる場に積極的な価値を認めた、複数の実践の重なりです。
平安末期から中世の和歌では、藤原俊成や藤原定家らの歌論を通して、「余情」「余意」「幽玄」が重要な美的価値になりました。歌の価値の一つは、三十一文字の内部で意味を説明し尽くすことにはありません。限られた言葉の周囲に、言われなかった感情や情景を残し、それを読者に感じさせる。ここでは不在の言葉が欠落なのではなく、表現された言葉を深く響かせる余白として働きます。
中世の連歌では、その構造がさらに関係的になります。二条良基が連歌の規則と理論を整え、心敬らがその美学を深めました。一人の作者が作品全体を完成させるのではなく、ある人の句に別の人が句を「付け」、さらに次の人が続けます。付け句は前句を受けながら、その意味や景色をずらします。すると意味は前句の作者にも付け句の作者にも完全には所有されず、二つの句の接続と隔たりから生まれます。しかも連歌は連衆が同じ場を共有する芸能です。句と句だけでなく、人と人の〈間〉が作品を動かしているのです。
世阿弥の能楽論では、それが「せぬ所」「せぬ隙」として明確に言語化されました。舞や謡が止まった瞬間にも、演者の心まで切れてはならない。何もしない時間を内側の緊張でつなぐことによって、次の所作が生きます。ここで「せぬ」は「する」の不足ではありません。することと次にすることを成立させ、演者と観客を結ぶ、密度の高い時間です。
室町期以降の水墨画にも、描かれていない白い部分を、単なる背景にはしない構成があります。白は霧、水、空として働き、離れた山や岸を関係づけます。これは中国絵画の「留白」を受け継ぎ、日本で展開したものです。見える物の外側に無を置くのではなく、描かない場所が、描かれた物の距離と気配をつくります。
村田珠光、武野紹鴎、千利休へと展開した茶の湯では、「取り合わせ」と「主客」の関係が重要になります。茶碗、掛物、花、釜は、それぞれが孤立した名品であるだけでは茶席を完成させません。その日、その季節、その場所、その客に応じて組み合わされることで、一回限りの場が生まれます。亭主が意味を一方的に与え、客が受け取るだけでもありません。亭主の設えと客の応答のあいだで、茶の湯の経験そのものが成立します。
庭園の「借景」も、内と外の関係を作品にする技法です。庭の外にある山や景観を構成へ取り込み、庭園の境界を視覚的に開きます。作品は塀の内側にある物だけでは完結せず、近景と遠景、人工と自然、所有する土地と所有しない景色の〈間〉に成立します。借景にも中国庭園・造園思想からの長い影響があり、これを日本だけの発明とすることはできませんが、日本文化における〈間的なもの〉の重要な展開例ではあります。
近世の俳諧、なかでも松尾芭蕉以後の発句では、「切れ」や切れ字が一句の内部に断絶をつくります。切れは意味を壊して終わるのではなく、切れの前と後を読者の想像のなかで響き合わせます。和歌の余情、連歌の付け、能のせぬ所、水墨画の余白、茶の湯の取り合わせ、庭園の借景、俳諧の切れ。いずれも同じ概念ではありません。しかし、表現された二項のあいだに空白が残るというより、空白や切断や関係が先に働き、その働きによって前後や内外が意味あるものとして現れる、という点では共通しています。
そもそも空虚や余白を積極的に捉える思想は、日本だけから生まれたものではありません。中国の道家には「無」や「虚」があり、仏教には「空」があり、中国絵画には「留白」があります。日本文化の〈間的なもの〉も、大陸から伝わった思想や芸術を受け取り、それぞれの時代と実践のなかで変形してきたものです。
日本で特徴的なのは、〈間〉が一つの専門的な哲学用語にとどまらず、時間、空間、人間関係、芸術技法、身体感覚を横断する日常語として生きてきたことでしょう。「間を取る」「間が悪い」「間に合う」「間抜け」「間合い」「人間」「世間」。日本だけが空白や関係を発見したのではありません。それらへの感覚を〈間〉という言葉の周辺へ集め、多くの生活領域で働かせてきたのです。
こうして見るなら、和辻は過去の日本文化を一語で要約したというより、各所に異なる名前で散在していた〈間的なもの〉と響き合う人間観を、近代哲学の言葉で体系化した、と表現する方が正確です。そして武満は同型の問いを音と沈黙の問題として、松本はボケとツッコミと観客の呼吸の問題として、異なる領域で実演したと読むことができます。
世阿弥の「する/せぬ」、武満の「音/沈黙」、松本の「ボケ/ツッコミ」は、直接の影響関係で結ばれた一本道ではありません。それでも、存在するものだけでなく、そのあいだを積極的な生成の場として扱う点で、よく似た構造を持っています。
松本人志は、その〈間的なもの〉を大衆芸能の最前線で、説明ではなく笑いとして実演してきたのではないでしょうか。
山本七平の「空気」は、〈間〉の暗い顔である
ここまでの議論は、〈間〉を芸術的に美しいものとして称賛しているように見えるかもしれません。しかし〈間〉には、美や笑いを生む力だけでなく、人を拘束する力もあります。
その社会的な現れを考えるうえで重要なのが、山本七平の『「空気」の研究』です。山本が問題にした「空気」は、誰か一人の命令ではありません。明文化された規則でもありません。それにもかかわらず、その場にいる人々の判断と行動を、ときに論理や事実以上の力で支配します。
この「空気」を、〈間〉から立ち上がる社会現象として読むことができます。
空気は松本のものでも、浜田のものでも、観客のものでもありません。しかし、松本―浜田―共演者―観客のあいだに生じ、そこにいる全員を動かします。笑ってよい空気、まだ笑ってはいけない空気、誰かがツッコむべき空気、誰も言葉を挟めない空気。お笑いの現場は、空気を読み、変え、裏切る技術の集積でもあります。
うまく働けば、それは阿吽の呼吸や絶妙な間になります。しかし悪く働けば、「ここでは笑うべきだ」「大御所の言葉に逆らってはいけない」「この人物を笑いの対象にしてよい」という同調圧力にもなります。〈間〉は共同性を生みますが、同時に個人をのみ込むこともあります。
ここで、和辻の「間柄」と山本の「空気」がつながります。存在論的には、人は間柄の外に完全に独立しているわけではありません。社会的には、だからこそ場の空気が個人を強く拘束できます。美学的には同じ原理が武満の沈黙を豊かにし、芸能的には松本の一拍を笑いに変えます。
存在論では「間柄」、音楽では「間」、笑いでは「間」、社会では「空気」。
これらは同じ概念ではありません。それでも、日本文化の異なる領域に現れた、同じ問題の別々の顔として比較することはできます。〈間〉は日本文化礼賛のための便利な言葉ではありません。美を生み、笑いを生み、共同性を生む一方で、沈黙を強い、異論を封じることもある両義的な力なのです。
本人がいない場所に、松本の〈間〉がある
松本が出演しない『芸人王様ゲーム』は、病後の空白から生まれました。しかし、松本がいないから何もないわけではありません。
千原ジュニアが企画を持ち込み、芸人たちが集まり、松本のいないDOWNTOWN+で新しい番組が始まりました。不在が欠落で終わらず、別の人間が動き出す余地になっています。
松本は自分を「大腸がん以前/以後」に分けました。けれども、その二つを隔てる手術、休養、ストーマ、本人不在の番組という空白も、ただの断絶ではありません。その〈間〉があるからこそ、「以前」の松本が見直され、「以後」の松本が新しく現れます。
私もまた、松本人志を見ながら年を取りました。彼の身体に刻まれた区切りを見て、自分の死を知りました。
それでも、以前と以後のあいだには、まだ〈間〉があります。
そして〈間〉があるかぎり、そこから次の笑いが立ち上がる可能性も、まだ残っています。
