
フジロック最終日、雨と寒さと疲労のなかで、大トリ Massive Attack のライブセットの巨大なスクリーンに「パランティア」の文字が現れました。
音は圧倒的でした。90年代のブリストル・サウンドを象徴した、重く沈むビートと深い低音の音像が、2020年代後半の巨大な野外ステージに、懐古ではなく現在の音として立ち現れました。低音は身体に直接響き、映像はピーター・ティールやパランティアを、私たちの自由を脅かす存在として提示しました。ライブが終わったあとにも、音と文字の結びつきが頭から離れませんでした。
しかし、ここで一度立ち止まりたいのです。
Massive Attackのライブが素晴らしかったことと、彼らが示した政治的な構図が正しいことは、同じではありません。音楽が強ければ強いほど、私たちは主張の正しさまで身体で納得したような気分になります。だから、ライブで「悪役」にされた側が、自分たちをどう説明しているのかも読んでみる必要があります。
これは、ピーター・ティールやパランティアを擁護するための読書案内ではありません。Massive Attackを批判するためのものでもありません。
音楽によって開かれた問いを、音楽によって与えられた印象のまま閉じないための読書案内です。
この記事で紹介するのは、次の8冊です。
まず、全体像をつかむための入門書2冊。
- 樋口恭介『21世紀を動かす思想』(2026年)
- 木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』(2019年)
次に、当事者たちの思想に直接触れる4冊。
- ピーター・ティール、ブレイク・マスターズ『ゼロ・トゥ・ワン』(2014年)
- アレクサンダー・C・カープ、ニコラス・W・ザミスカ『テクノロジカル・リパブリック』(2026年)
- パトリック・J・デニーン『リベラリズムはなぜ失敗したのか』(2019年)
- カーティス・ヤーヴィン『ネオ君主論』(2026年)
そして、テック右派をより広い政治思想の中に置き、民主主義側からの対案を考える2冊。
- 井上弘貴『アメリカの新右翼』(2025年)
- 李舜志『テクノ専制とコモンへの道』(2025年)
それぞれの本を詳しく紹介する前に、まずはMassive Attackがライブで何を問題にしていたのかを確認します。
Massive Attack自身は何を主張しているのか
本を紹介する前に、Massive Attack自身の主張も、ライブの印象だけで分かったことにしてはいけません。
NME Japanが紹介したロバート・デル・ナジャの発言によれば、彼が問題にしているのは、単に「AIが怖い」「軍事企業が嫌い」ということではありません。警察記録、衛星による位置情報、医療記録、金融取引のように、もともとは別々の制度と目的のもとにあったデータを、一つの企業が横断的に統合し、明確な政治的意図と社会的目的のもとで扱えるようになることです。
ロバート・デル・ナジャは、パランティアのような企業が社会インフラをこれほどまでに掌握することの妥当性について、もっと幅広い議論が必要だと述べています。
ここから読み取れるMassive Attackの立場は、包括的な政治綱領というより、三つの拒否です。
第一に、生活の一領域で渡したデータが、本人の理解や同意を越えて結合されることへの拒否です。
第二に、分類、予測、標的化の基準が、民主的な議論から見えない民間企業の内部へ置かれることへの拒否です。
第三に、戦場で発達した意思決定技術が、警察、移民管理、医療などの市民生活へ連続的に広がっていくことへの拒否です。
つまり彼らが守ろうとしているのは、抽象的な「反テクノロジー」ではありません。誰が誰について知り、異なるデータを結びつけ、人物を分類し、その分類を現実の介入へ変えるのかについて、社会が議論し、統制できる余地です。言い換えれば、個人のプライバシーだけでなく、社会が自分たちのインフラを共同で決める能力が問題になっています。
この思想は、ライブの形式そのものに埋め込まれています。
2026年の演出では、顔認識を模した映像が観客を捉え、「燃え尽き症候群」「未読の本」といった風刺的なラベルを付けます。バンドは、ライブで個人データを記録・保存したことはないと説明しています。つまり、実際の監視を行うのではなく、観客を一時的に「見る側」から「分類される側」へ反転させる演劇なのです。
観客はパランティアについて説明を聞くだけではありません。自分の顔に、身に覚えのない属性が貼られる不快さを体験します。低音による身体の同期と、顔認識による身体の分割が同時に起きる。群衆として一つになる快楽と、データ上の個体として切り分けられる恐怖が、一つのライブに共存します。
ここにMassive Attackの政治美学があります。彼らは論文のように制度案を示すのではなく、インフラの問題を知覚の問題へ変換します。
ただし、この方法にも弱点があります。観客を分類する企業、標的化する軍、医療記録へ接近するソフトウェア企業を巨大スクリーンに並べれば、パランティアはほとんど反論不能な悪役になります。なぜ政府がその技術を求めるのか、代替手段はあるのか、民主国家が安全保障上の脅威へどう対応するのかは、ライブの時間では展開されません。
だから、Massive Attack自身の思想を理解することと、その思想だけでパランティアを理解することも同じではありません。
彼らが提示する最も強い問いは、「その技術は便利か」ではなく、「その能力を誰に預け、その人物や組織を誰が止められるのか」です。
パランティアの背後に見えてくる「テック右派」
パランティアやピーター・ティールについて調べ始めると、すぐに「テック右派」という言葉に行き当たります。
これは、シリコンバレーを中心とする起業家、投資家、思想家のうち、現在のリベラルな民主制度に強い不満を持ち、テクノロジーと資本の力で社会や国家を作り変えようとする人々を、ひとまずまとめた呼び名です。
ただし、この言葉は一つの思想や組織を指すものではありません。「テック右派」と呼ばれる人々の内側には、少なくとも四つの異なる欲望があります。
一つ目は、税、規制、福祉国家から逃れ、資本と技術を持つ個人が国家を選べるようにしたいという「退出」の欲望です。
二つ目は、反対に、AIとソフトウェアを国家安全保障へ投入し、西側諸国の実行力を回復したいという「強い国家」の欲望です。
三つ目は、個人の自由と市場を拡大してきたリベラリズムが、家族、地域、宗教、共通善を壊したのではないかという「共同体」の欲望です。
四つ目は、選挙、議会、官僚制を非効率なシステムと見なし、国家をCEOが率いる企業のように設計し直したいという「統治の一本化」の欲望です。
国家から逃げたい人と、国家を強くしたい人は、本来なら反対方向を向いています。主権的な個人を称える人と、共同体の規範を取り戻したい人も同じではありません。パランティアCEOのアレクサンダー・カープと、共同創業者ピーター・ティールの政治的立場も同一ではありません。
それでも一つの潮流に見えるのは、現在の自由主義的な民主制度が遅く、弱く、責任の所在が曖昧で、文明的な危機に対応できないという不満を共有しているからです。ウィーンの人文研究所IWMによるヤーヴィン論も、彼を単純なポピュリストではなく、計算機的な特徴を持つポストリベラリズムの一種として読むほうが理解しやすいと論じています。
この違いを残したまま読むことが大切です。「テック右派」という便利なラベルで全員を同じ悪役にすると、Massive Attackの映像を見た瞬間の理解から一歩も進めないからです。
いきなり『ネオ君主論』を読む前に
では、ここから本の紹介へ進みます。
ただし、いきなり『テクノロジカル・リパブリック』や『ネオ君主論』を開くのは、少し重いと思います。
ピーター・ティール、パランティア、カーティス・ヤーヴィン、新反動主義、加速主義。名前だけを追っていると、それぞれの思想の違いが見えなくなります。
まずは、日本語で読める二冊を紹介します。
『21世紀を動かす思想』――加速か減速か、という二択から出る
樋口恭介『21世紀を動かす思想――加速主義・プルラリティ・SFプロトタイピング』は、最初の一冊に置きたい本です。2026年刊行の集英社新書で、専門書の前提知識なしに読めます。
本書はまず、既存の資本主義や技術革新の運動をさらに押し進め、現在のシステムを内側から突き崩そうとする加速主義を扱います。しかし、加速主義は一つではありません。資本と技術の自己増殖を人間的な価値より優先する右派加速主義、技術によって労働からの解放を目指す左派加速主義、破局を避けながら技術開発を進める防御的加速主義など、速度の方向と主体をめぐって分岐します。
そこから本書は、オードリー・タンとE・グレン・ワイルらが提唱するプルラリティへ進みます。プルラリティは、違いを消して一つの正解へ統合するのではなく、異なる集団や価値が協働できる制度とデジタル技術を設計しようとする考えです。
この流れが重要です。テック右派が「遅い民主主義か、速い技術か」という二択を提示するとき、プルラリティは、民主主義そのものを技術によって豊かにできないかと問い返します。
さらにSFプロトタイピングは、未来を一つの予言として受け取るのではなく、複数の社会像を具体的に試作する方法です。Massive AttackのVJも、ある意味では負のSFプロトタイプです。パランティア的な監視が日常へ広がった世界を、説明ではなく体験として先に見せるからです。
テック右派の本そのものではありません。しかし、彼らの未来像を相対化する地図として、最もよい入口です。
『ニック・ランドと新反動主義』――加速主義と暗黒啓蒙の接続点
木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義――現代世界を覆う〈ダーク〉な思想』は、星海社新書として刊行された日本語の思想案内です。
本書はピーター・ティール、カーティス・ヤーヴィン、ニック・ランドという三人を通して、新反動主義、暗黒啓蒙、加速主義の関係をたどります。とりわけ重要なのは、ヤーヴィンの反民主主義的な統治論と、ランドの資本・技術の加速をめぐる哲学が、同じものではないまま接続していく過程です。
ヴェイパーウェイヴなどのネット文化や音楽的な感性まで視野に入るため、政治思想だけの解説より、このブログの読者には入りやすいと思います。ただし、入門書のなかでは最も思想的な密度が高いので、『21世紀を動かす思想』のあとが適しています。
地図を手にしたら、当事者の本を読む
この二冊で、思想の大まかな地図が見えてきます。
あとは、しのごの言わずに『テクノロジカル・リパブリック』と『ネオ君主論』を読むしかありません。
1. 『ゼロ・トゥ・ワン』――政治思想が書かれていないからこそ読む
ピーター・ティール、ブレイク・マスターズ『ゼロ・トゥ・ワン――君はゼロから何を生み出せるか』は、表面上は起業の本です。競争から抜け出し、模倣ではなく新しいものを作り、独自の市場を築く方法が語られます。
出版社の紹介でも、本書の中心は「1からn」ではなく「0から1」を作ること、そして技術的停滞の時代に未開拓の未来を発明することだとされています。
では、なぜ思想書として読むのでしょうか。
この本には、ティールの政治思想を支える世界の見方が、政治という名前を使わずに現れているからです。
- 競争は価値を生むどころか、互いを似たものにします。
- 多数派が信じる常識より、他人がまだ気づいていない「秘密」に価値があります。
- 大きな未来は、明確な意志を持つ少数者によって作られます。
- 偉大な創業者の個性と集中した権限は、平均化された組織より創造的です。
これらは起業論として読めば刺激的です。しかし政治へ移植すると、別の顔を見せます。競争的な選挙、妥協を重ねる議会、権力を分散する制度は、「0から1」を作れない仕組みに見えてくるかもしれません。創業者の決断力を称える美学が、CEO型の統治への憧れと接続する可能性があります。
もちろん、『ゼロ・トゥ・ワン』を読んだから反民主主義者になるわけではありません。本書は政治綱領でもありません。だからこそ、ティールの結論を先に断罪するより、何を美しく、何を退屈だと感じる思考なのかを知る入口になります。
Massive Attackがスクリーンに映した顔の、その手前にある感性を読む本です。
2. 『テクノロジカル・リパブリック』――パランティアは自分たちをどう語るのか
アレクサンダー・C・カープ、ニコラス・W・ザミスカ『テクノロジカル・リパブリック――国家、軍事力、テクノロジーの未来』は、今回もっとも直接的に読むべき本です。
カープはパランティアの共同創業者でCEOです。本書は、シリコンバレーが写真共有アプリや広告最適化のような消費者向けサービスへ優秀な人材を集中させ、国家的な課題から逃げてきたと批判します。技術企業は政府や軍と協働し、AI時代の安全保障と西側の政治的価値を守る責任を引き受けるべきだ、というのが中心的な主張です。
Massive Attackのライブでは、パランティアは監視、分類、標的化、軍事技術の企業として現れました。それに対して本書では、同じ能力が、民主社会を守るために必要な実行力として語られます。
ここで重要なのは、賛成か反対かを急がないことです。
「民主主義を守るために、民主的な統制が追いつきにくいほど強力な技術が必要になる」というねじれがあります。民間企業が国家の意思決定基盤へ深く入るほど、政府は能力を得る一方、その企業なしには判断できなくなるかもしれません。
また、本書を「テック右派の本」とだけ呼ぶのも雑です。国家から逃れたいテクノリバタリアンと違い、カープとザミスカは技術企業を国家目的へ再接続しようとします。ヤーヴィンのように民主主義をCEO型君主制へ置き換える本でもありません。
同じパランティア周辺に、国家からの退出と、国家への奉仕が同居している。その矛盾を発見するために読む本です。
3. 『リベラリズムはなぜ失敗したのか』――不満の根をシリコンバレーの外へ広げる
パトリック・J・デニーン『リベラリズムはなぜ失敗したのか』は、テクノロジー企業の本ではありません。それでも、この選書から外せません。
デニーンの挑発的な主張は、リベラリズムが外部の敵に敗れたのではなく、成功したために失敗した、というものです。
個人を伝統、土地、家族、宗教、共同体の拘束から自由にする。市場と国家は、その自由な個人が選択できる範囲を広げる。しかし、その成功によって人々を支えていた中間的な共同体が弱くなり、孤立した個人と巨大な市場・国家だけが残る。自由を増やす仕組みが、自由を実際に生きるための文化的な条件を掘り崩した、という診断です。
この本を読むと、テック右派が単なる「金持ちのわがまま」では説明しきれない理由が見えてきます。
短い動画を延々と見てしまうこと、地域のつながりが消えること、仕事と消費以外に自分の役割を感じにくいこと。こうした感覚は、右派の人だけのものではありません。リベラルな社会が約束した自由と、実際の孤独の落差は、多くの人が共有しうる問題です。
ただし、診断に納得することと、処方箋に同意することは別です。失われた共同体を誰が定義し、その規範に適合しない人をどう扱うのか。共同体の回復が、個人の自由を奪う強制へ変わらないか。そこは慎重に読む必要があります。
『ゼロ・トゥ・ワン』が例外的な創業者の力を語る本だとすれば、本書は、その創業者が現れる社会で普通の人々から何が失われたのかを問う本でもあります。
4. 『ネオ君主論』――最後に読むべき、最も危険で面白い本
カーティス・ヤーヴィン『ネオ君主論――民主主義の敗北とテック右派の時代』は、今回の4冊のなかで、最も直接的に民主主義の前提を攻撃します。
ヤーヴィンは、選挙、権力分立、官僚制、報道、大学などから成る現在の体制を、責任が分散し、誰も本当には統治できない仕組みと見ます。そして国家を、所有者と指揮命令系統が明確な企業のように再設計し、強い権限を持つCEO=君主に率いさせる方向を構想します。
ここには、ソフトウェア設計者らしい誘惑があります。
複雑な制度をレガシーシステムと呼び、責任の所在を一本化し、動かない組織を再起動する。政治の問題が、設計不良と実装の問題に見えてきます。
しかし国家は、気に入らなければ退会できるサービスではありません。企業の顧客は商品を買わないという選択ができますが、市民は土地、言語、家族、仕事、在留資格に結びついています。「嫌なら出ていけばよい」という退出の自由は、移動できる資本と身体を持つ人に偏ります。
さらに、独裁者が有能である保証も、穏健である保証もありません。民主主義の遅さは欠陥ですが、その遅さの一部は、権力が一気に人を傷つけないための摩擦でもあります。
それでも本書を読まず、ヤーヴィンを「危険な変人」とだけ呼ぶのは弱い批判です。なぜ、投票できるのに何も変わらないと感じる人がいるのか。なぜ、政治家より創業者のほうが未来を作れるように見えるのか。なぜ、非効率を排除する言葉が魅力を持つのか。本書は、その欲望を極端な形で見せてくれます。
最初に読むと刺激に引っ張られやすいので、4冊目に置きました。
さらに視野を広げるための二冊
当事者の本を読んだあとは、テック右派をアメリカ右派全体の中に置き直す本と、民主主義側から技術の使い方を考える本を紹介します。
『アメリカの新右翼』――テック右派を右派全体へ配置する
井上弘貴『アメリカの新右翼――トランプを生み出した思想家たち』は、テック右派だけでなく、ポストリベラル、宗教保守、オルトライト、文化戦争までを政治思想史のなかへ配置する新潮選書です。
テック右派を理解するとき、すべてをティールとヤーヴィンの影響として説明すると、アメリカ右派の内部差が消えます。市場と個人を重視するリバタリアン、国家と産業政策を重視するナショナリスト、共同体と宗教を重視するポストリベラル、技術的進歩を肯定する右派は、協力することもあれば衝突もします。
本書は、その広い配置のなかでティールの思想や「右派進歩主義」を扱います。テック右派を珍奇なネット思想として隔離せず、アメリカの長い文化戦争の現在形として理解する本です。
『テクノ専制とコモンへの道』――Massive Attack側の問いを制度へ変える
李舜志『テクノ専制とコモンへの道――民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?』は、プルラリティを日本語でコンパクトに学べる集英社新書です。
Massive Attackが問いかけたのは、「その技術を誰が所有し、誰が止められるのか」という問題でした。本書は、その問いをテック企業への恐怖だけで終わらせず、市民がデジタル技術を使って共通の資源や意思決定をどう作れるかという制度の問題へ進めます。
『ネオ君主論』では、民主主義の遅さを解消するために決定権を一人へ集中させます。プルラリティは反対に、異なる集団の差異を保ったまま、協働の質を上げる技術を探します。
「技術か民主主義か」ではなく、「どのような技術が、どのような民主主義を作るのか」と問い直す本です。より詳しく読みたい場合は、オードリー・タン、E・グレン・ワイル、⿻コミュニティによる『PLURALITY――対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来』の日本語版へ進めます。
8冊を並べると、見えてくる対立
この8冊は、同じ主張を補強するためのリストではありません。互いをぶつけるためのリストです。
| 問い | 肯定・推進する側 | 疑い・反論する側 |
|---|---|---|
| 例外的な創業者に権限を集中すべきか | 『ゼロ・トゥ・ワン』『ネオ君主論』 | 『テクノ専制とコモンへの道』 |
| 技術企業は国家と深く結びつくべきか | 『テクノロジカル・リパブリック』 | 『テクノ専制とコモンへの道』 |
| 個人や創業者を既存制度から解放すべきか | 『ゼロ・トゥ・ワン』『ネオ君主論』 | 『リベラリズムはなぜ失敗したのか』が問う共同体の条件 |
| 技術の加速をどう扱うべきか | 『ゼロ・トゥ・ワン』『ニック・ランドと新反動主義』 | 『21世紀を動かす思想』が示す防御的加速主義とプルラリティ |
| 民主主義の遅さは欠陥か | 『ネオ君主論』 | 『テクノ専制とコモンへの道』 |
| テック右派は独立した思想なのか | 当事者の4冊 | 『アメリカの新右翼』 |
読みながら、どちらかの陣営へ所属する必要はありません。
むしろ面白いのは、同じ人物のなかにも矛盾があることです。国家から自由になりたいのに、国家安全保障の中枢へ企業を入れたい。競争を称えるのに、自社は競争を避けて独占したい。個人の主権を語るのに、他者を分類する巨大な情報基盤を作る。民主主義を弱いと批判しながら、企業権力への公的な統制まで弱めようとする。
こうした矛盾は、思想が偽物である証拠とは限りません。むしろ、2020年代の権力が「国家か市場か」という古い二択では説明できなくなっている証拠です。企業が国家の外から規制へ抵抗しながら、国家の内側で軍事・行政能力を提供するからです。
ライブに圧倒されたまま、同意しないために
Massive Attackは、パランティアをめぐる危険を、巨大な音と映像によって観客の身体へ刻みました。ロバート・デル・ナジャは2026年の演出について、パランティア・ゴッサムの監視と意思決定の連鎖を想像した映像であり、軍事技術から市民の医療記録へ広がるデータ統合を警戒していると説明しています。
その警告は、読む価値があります。実際、パランティア自身もゴッサムを、異種のデータを統合し、現代の戦場における意思決定を支えるプラットフォームとして説明しています。
しかし、警告が重要であることと、舞台上の二分法が十分であることは別です。
なぜ、その技術を必要だと考える人がいるのでしょうか。彼らは何を恐れているのでしょうか。中国やロシアとの競争、テロ、戦争、官僚制の遅さ、技術的停滞、共同体の崩壊、エリートへの不信。そこには、単なる悪意では片づけられない危機感があります。
危機感を理解することは、処方箋を受け入れることではありません。
むしろ相手の最も強い議論を読んだうえで、権力の集中、退出できない人、監視される人、間違って分類される人、共同体の規範から外れる人について問うほうが、批判は強くなります。
音楽と政治を分けるべきか、という議論は何度も繰り返されます。しかし、Massive Attackのライブを見たあとに必要なのは、政治を音楽から追い出すことではありません。
政治を持ち込まれたなら、その政治について読むことです。
音楽に圧倒されたなら、圧倒されたまま同意しないことです。
Massive Attackが悪だと示した相手を、そのまま悪だと思わないことです。そして反対側の本を読んだからといって、今度は彼らの自己説明をそのまま信じないことです。
この夏は、まず『21世紀を動かす思想』を開いてください。加速主義、プルラリティ、未来を構想する方法の地図を得てから、『ニック・ランドと新反動主義』で思想史を押さえ、『ゼロ・トゥ・ワン』と『テクノロジカル・リパブリック』で当事者側の論理を読んでください。
そのあと『リベラリズムはなぜ失敗したのか』で不満の根を広げ、『テクノ専制とコモンへの道』で民主主義側の対抗構想を確認します。
そのうえで、最後に『ネオ君主論』を読んでください。
「音楽に政治を持ち込むな」ではありません。
『ネオ君主論』を読め。
そして、読んだあとで、もう一度Massive Attackを聴けばよいのです。
書誌・参考URL
中心となる4冊
- ピーター・ティール、ブレイク・マスターズ『ゼロ・トゥ・ワン――君はゼロから何を生み出せるか』NHK出版
- ピーター・ティール、ブレイク・マスターズ『Zero to One』英語版公式ページ、Penguin Random House
- アレクサンダー・C・カープ、ニコラス・W・ザミスカ『The Technological Republic』英語版公式ページ、Penguin Random House
- 『テクノロジカル・リパブリック――国家、軍事力、テクノロジーの未来』日本語版書誌、日経BP
- パトリック・J・デニーン『Why Liberalism Failed』英語版公式ページ、Yale University Press
- 『リベラリズムはなぜ失敗したのか』日本語版書誌、原書房
- カーティス・ヤーヴィン『ネオ君主論――民主主義の敗北とテック右派の時代』PHP研究所
日本語で読める入門・解説4冊(関連書評1本)
- 樋口恭介『21世紀を動かす思想――加速主義・プルラリティ・SFプロトタイピング』集英社新書
- 木澤佐登志「『21世紀を動かす思想』書評」『青春と読書』――本書を未来をめぐるイデオロギーへの抵抗として読む書評
- 木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義――現代世界を覆う〈ダーク〉な思想』星海社新書
- 井上弘貴『アメリカの新右翼――トランプを生み出した思想家たち』新潮選書
- 李舜志『テクノ専制とコモンへの道――民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?』集英社新書
プルラリティと民主主義側からさらに読む
- オードリー・タン、E・グレン・ワイル、⿻コミュニティ『PLURALITY――対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来』サイボウズ式ブックス、日本語版
- マリエチェ・スハーケ『テクノ・クーデター――民主主義崩壊とシリコンバレーの野望』早川書房、日本語版
背景を確認するための資料
- ハリソン・スミス、ロジャー・バロウズ「Software, Sovereignty and the Post-Neoliberal Politics of Exit」Theory, Culture & Society
- IWM「カーティス・ヤーヴィン: Postliberalism with Computational Characteristics」
- Le Monde「How America’s tech right came to power」
- AP「テック業界の一部がトランプ支持へ向かうなか、シリコンバレーに政治的分断」――テック業界全体を右派と一括りにしないための資料
- Novara Media「Massive Attackがパランティアを批判する理由」
- NME Japan「マッシヴ・アタック、パランティア・テクノロジーズの監視システムを批判する理由を語る」
- パランティア「ゴッサム公式ページ」
Appendix――英語でさらに読む3冊
ここまでの本文では、日本語で無理なく始められる読書経路を優先しました。英語で読める人には、次の3冊も有効です。
1. 『Gilded Rage』――テック業界の右傾化を外側から見る入門
ジェイコブ・シルバーマン『Gilded Rage』は、イーロン・マスクを中心に、シリコンバレーの一部の経営者や投資家が、なぜ右派政治と結びついていったのかを追う批判的なジャーナリズムです。
思想だけでなく、文化戦争、規制への反発、資本、人脈、政治権力への接近を一つの流れとして読めます。イーロン・マスクを中心に、シリコンバレーの変化をより詳しく追いたい人に向いています。
ただし、著者の立場はテック右派に批判的です。当事者の思想を中立に分類した教科書ではないため、『ゼロ・トゥ・ワン』や『テクノロジカル・リパブリック』と組み合わせてください。
2. 『The Contrarian』――ピーター・ティールの思想を人生と権力から読む
マックス・チャフキン『The Contrarian』は、ピーター・ティールの評伝です。現時点で本書の邦訳は確認できません。
『ゼロ・トゥ・ワン』がティール自身の言葉で描かれた自画像だとすれば、本書はジャーナリストが外側から描いた肖像です。スタンフォードの文化戦争、ペイパル、パランティア、投資、人脈、政治活動のなかで、その思想がどのように現実の力を得たのかを追います。
思想が文章だけでなく、企業、資本、候補者、財団、メディアを通して作用することを理解するための本です。
3. 『The Sovereign Individual』――テクノリバタリアンが読んできた源流
ジェームズ・デイル・デイヴィッドソン、ウィリアム・リース=モッグ『The Sovereign Individual』は、1997年に刊行された源流の一冊です。入門的な解説書というより、当事者側の一次資料として読む本です。現時点で邦訳は確認できません。
本書は、情報社会の到来によって、国境を越えて稼げる人々が国家の課税や規制から逃れ、国家が個人を囲い込む力が弱くなる未来を予測しました。デジタル通貨、管轄権の競争、福祉国家の衰退、国家より交渉力を持つ「主権的個人」といった主題が並びます。
海上都市、ネットワーク国家、暗号資産、ヤーヴィンの小さな主権領域を理解する鍵になります。同時に、「簡単に移動できない人は、最初から読者として想定されているのか」と問いながら読む必要があります。
この3冊は、日本語の入門ルートを置き換えるものではありません。『21世紀を動かす思想』と『ニック・ランドと新反動主義』で地図を得たあと、英語圏の具体的な人物史と源流へ進むための付録です。
