「 原発問題 」一覧

坂本龍一「何と言われようと、『電気より命が尊い』という考えに変わりはない」

8月に入り、いよいよ夏本番、海か、山か、プールか? いや、先ずは本屋・・・(スチャダラパー)と言いたいところですが、昨年ほどではないにしろ、東日本大震災による原発問題の影響で「節電」が叫ばれ、なかなか「涼しい」と感じられる屋内もなく、マジで暑くてどうしよう・・・、と活動が鈍くなってしまいます。

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Twitter で読む原発問題

ここ1週間くらいの、Twitter で見かけた原発問題関連の発言で、目に留まったものを引用します。主には坂本龍一関連ですが。
ちなみに、当ブログの坂本龍一関連の記事は、
http://musicmusicologic.com/sakamoto-ryuichi-anti-nuclear/
坂本龍一さんには、残念な人、という印象です。
前回のエントリーの続きみたいなものですが、坂本龍一「たかが電気」発言の余波が、思想家の東浩紀にも及んでいますね。 ...

を参考にしてください。

(また、坂本龍一の社会運動に関する考え方は、坂本龍一『音楽は自由にする』(新潮社, 2009) に詳しいです。)

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坂本龍一さんには、残念な人、という印象です。

前回のエントリーの続きみたいなものですが、坂本龍一「たかが電気」発言の余波が、思想家の東浩紀にも及んでいますね。



東浩紀は真剣に読んだことはないのですが(『思想地図β』を流し読みしたくらいですね)、彼については最近、ネタの人なのかな(笑、と思ってしまいます。何と言うか、Twitter ( @hazuma ) での発言がいちいち可愛いというか(笑。

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坂本龍一「たかが電気」発言の真意とは

(ここ1ヶ月くらい更新をさぼっていたのですが、重い腰をあげてぼちぼち書こうと思います。過去のエントリーについても、埋め合わせをしていく予定です。というかワタシは『ゆるゆり♪♪』で忙しいのです)

7月16日に代々木公園で開催された「さようなら原発10万人集会」での坂本龍一の「たかが電気のために命を危険に晒してはいけない」発言が話題になっていますね。 続きを読む




大友良英「福島のフェスも土地に根ざしたフェスなんかでは全然ない」

「現実をごまかすための音楽ではなく、現実と戦っていく体力を養うための音楽が必要なんです」(大友良英(2011)「福島と下北沢 “まつり”は自分たちの手で」『アルテス Vol.01』p. 237)

雑誌『アルテス』創刊号の、巻末インタビュー見出しのことば。大友良英にとっては、高橋悠治とは異なり、東日本大震災以降の音楽が必要ということなのだろうか。 続きを読む


神話的な時間の出現としての 3.11

「すでに 3.11 よりも前に三輪眞弘さんは、私たちが「音楽」と名づけているものの大半が電気なくしては存立しえず、ほとんどその実体は電気であると言っても過言ではないことを指摘して、次のように書いていた。「コンピュータ音楽であれメディアアートであれ、『装置を使った(芸術)表現』についてなにかを語る際に、ぼくらは、ある装置を電源コンセントにつなぐことから始めているという事実に注目しようとはしない。『コンセントの向こう』には、つまり電力が安定的に供給される背景には、地球規模のエネルギー問題〔中略〕が果てしなく連なっていることを意識することはまずないはずだ」(『三輪眞弘音楽藝術 全思考一九九八ー二〇一〇』、アルテスパブリッシング、五頁)。これを読んでいまさらだが思う。これまでの人生で私は、音楽鑑賞のためにどれだけの量の電気ゴミ(エレクトリック・ウェイストとでもよぶべきもの)を排出してきたのだろう、と」(岡田暁生(2011)「芸術はなおも「頑張る物語」を語り得るか」『アルテス Vol.01』p. 36)
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